大判例

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名古屋地方裁判所 昭和60年(ワ)1361号 判決 1996年2月19日

原告

右訴訟代理人弁護士

辻辰三郎

加藤一昶

後藤武夫

被告

戸塚宏

A

B

C

D

E

戸塚ヨットスクール株式会社

右代表者代表取締役

戸塚宏

右被告七名訴訟代理人弁護士

青木俊二

伊神喜弘

今井安榮

加藤豊

服部優

山本秀師

細井土夫

右山本秀師訴訟復代理人弁護士

加藤毅

右服部優訴訟復代理人弁護士

関口悟

成田龍一

被告

F

右訴訟代理人弁護士

永井克昌

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金二九四二万三五一四円及びこれに対する昭和五七年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金三九六三万三二七八円及びこれに対する昭和五七年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 亡乙(昭和四四年六月三日生。以下「乙」という。)は、原告と丙の長男として出生したが、原告が丁(以下「丁」という。)と再婚したことから、昭和五二年二月二二日に丁の養子となった。なお、丙は、昭和五三年七月一五日に死亡した。

(二) 被告戸塚ヨットスクール株式会社(以下「被告会社」という。)は、昭和四九年一一月二六日、ヨット及びその部品等の販売、ヨット教室の経営等を営業目的とし、商号を株式会社シー・ワイ・シーとして設立されたが、昭和五六年一一月一日に現商号に変更された。

(三) 被告戸塚宏(以下「被告戸塚」という。)は、昭和五一年秋ころから、一般の少年を対象としてヨットの操縦等を指導するヨットスクールを全国八か所に開設していたが、昭和五二年一二月ころから、登校拒否児等をいわゆる情緒障害児であるとし、その矯正を目的とするものであるとして、このような児童のみを対象とした特別合宿と称する合宿訓練を行うようになり、その後、右ヨットスクールの運営を被告会社が行うこととし、被告戸塚は、その代表取締役として被告会社を経営するとともに、右ヨットスクールの校長の任にあった(以下、右ヨットスクールを「戸塚ヨットスクール」、特別合宿に参加する訓練生を「訓練生」という。)。

(四) 被告A(以下「被告A」という。)、被告B(以下「被告B」という。)、被告C(以下「被告C」という。)、被告D(以下「被告D」という。)、被告E(以下「被告E」という。)及び被告F(以下「被告F」という。なお、右六名を、以下「被告コーチら」という。)は、いずれも、被告会社所属のコーチとして、被告戸塚を補助し、戸塚ヨットスクールの訓練生らに対するヨット訓練及び合宿所内での生活全般の管理を行っていた。

なお、被告Aは、昭和五七年一一月二八日、被告会社の取締役に就任した。

2  戸塚ヨットスクールにおける体罰

(一) 戸塚ヨットスクールにおいては、訓練生は合宿所に収容され、被告戸塚や被告コーチらが訓練生と起居を共にしていたが、訓練生の中には、合宿所での自由を束縛された生活、厳しい訓練及びコーチ等からの体罰に耐えられずに、逃走を企てる者も多く、そのために、戸塚ヨットスクールでは、訓練生の逃走を防ぐため、そのおそれのある者を就寝時に格子戸付きの押入れに入れ、夜間にコーチ等が見張りに立つなどの対策を講じ、また、早朝体操や海上訓練等の際にも監視要員を配置して見張りをしていた。

そして、逃走に失敗した者に対しては、被告戸塚やコーチ等により、ティラー(ヨットの舵棒)等で尻、大腿を殴打するなどの体罰が加えられていた。

(二) 早朝体操における体罰

訓練生は、基礎体力を養うため午前六時ころから早朝体操を行うことになっていたが、その内容は、概ね、ランニング数百メートル、準備体操、腕立伏せ五〇回ないし一〇〇回、腹筋及び背筋運動各数十回、スクワット及び握力強化運動各数百回、柔軟体操等から成り、新しく入校した訓練生にとっては極めて厳しいものであり、各種目を完全にこなし得る者は皆無に近いのに、被告戸塚及び被告コーチらは、真面目に取り組んでいるにもかかわらず体力不足等の理由でこれをなし得ない者にまで、罵声を浴びせ、手や棒で殴打し、足で蹴るなどの体罰を加えた。

また、被告戸塚及び被告コーチらは、早朝体操の際、訓練生らに対し、真冬であっても突堤上から海に突き落としたり、海水に漬けるなどの残酷な体罰すら加えていた。

(三) 海上訓練における体罰

海上におけるヨットの操縦訓練は、特別に設計された転覆しやすい通称「かざぐるま」と呼ばれる一人乗りのヨットを用いて、救助艇(レスキュー艇、和舟ともいう。)に乗ったコーチらがヨットに乗った訓練生に対し指示を与えて行われていたが、被告戸塚及び被告コーチらは、真面目に取り組んでいないと判断した訓練生に対しては、故意に救助艇をヨットに衝突させて転覆させたり、ひしゃく様のあかくみやバケツで海水をかけたり、あかくみやティラー等で殴打するなどの体罰を加えていた。

(四) 戸塚ヨットスクールにおける体罰に対する態度

戸塚ヨットスクールにおいては、体罰を加えるか否かの判断基準や、体罰の程度についてのルールは定めておらず、また、各コーチがこの点についての指導とか講習を受けていたということもなく、体罰の行使の要否、その行使に当たっての程度の強弱は各コーチの独自の判断に委ねられ、体罰行使の際に多少の行き過ぎがあることも事実上やむを得ないこととして容認されていた。

3  入校に至る経緯

(一) 乙は、小学校六年生の時に副鼻腔炎に罹患し手術を受けたことがあったが、同疾患は完治し、それ以外には特に重大な疾病に罹患したことはなかった。

また、乙は、体格はやや細身で、学校における体育実技は得意な方ではなかったものの、小学校時代には、風邪や副鼻腔炎の治療のため欠席したことがある程度で、欠席日数は特に多くはないし、もとより登校拒否もなく、中学校時代には、ほとんど欠席することはなかった。

(二) 原告は、昭和五七年一〇月ころ、戸塚ヨットスクールの訓練とその効果を美化、強調した「スパルタの海」と題する本を知人から借りて読み、乙を戸塚ヨットスクールに入れれば、ヨットの操縦や水泳が上達し体力にも自信が付くようになるのではないかと考えるようになり、丁と話し合ったところ、丁も乙を戸塚ヨットスクールに入れることについて乗り気になり、また、乙自身も、かつて海洋キャンプに参加したことがあり、その時の経験からヨットの操縦訓練を受けることに強い憧れを抱いていたこともあって、国内留学の積もりで戸塚ヨットスクールに参加してみたいと考えるようになった。

なお、原告及び丁は、「スパルタの海」の中には、戸塚ヨットスクールではヨット訓練時に生徒に体罰を与えることがあるとの記載はあったものの、仮に体罰があるとしても、それは教育的配慮はもとより医学的配慮も十分された上で適切に行使されるものであると受け止め、戸塚ヨットスクールは、例えばアメリカの士官学校のような規則正しく人間教育をしてくれる教育機関であると理解していた。

(三) 原告は、昭和五七年一二月三日、子供を戸塚ヨットスクールに入れていた知人を通して、戸塚ヨットスクールに対し入校を希望していることを伝え、その時には、入校希望者が大勢いるため順番待ちの状態であるとの返答を受けたが、同日夜に丁が戸塚ヨットスクールのコーチであるGに電話で事情を伝えたところ、同人から翌日からでも受け入れるとの回答を得たことから、乙の入校の意思を確認した上、乙を翌日の同月四日に戸塚ヨットスクールの合宿所に入れることを決めた。

(四) 乙は、同月四日、自ら髪を短く整えるなどの用意をした上、原告と丁に付き添われて、同日午後九時ころ戸塚ヨットスクールの合宿所に行き、その晩は同合宿所で泊まった。

4  本件不法行為

被告戸塚及び被告コーチらは、訓練生に対し、前記2のとおり実行困難な課題を課した上、これができない場合には容赦なく体罰を加えていたが、なかでも乙に対しては、特に意欲が欠如しているとして、他の訓練生に比して集中的に過酷な暴行を加え続けた。その具体的状況は次のとおりである。

(一) 昭和五七年一二月五日から一一日までの間の不法行為

被告Cは、昭和五七年一二月五日、合宿所付近の堤防上での早朝体操の際、乙の頬をゴム草履で何回も殴打し、被告Eは、同日夜、同合同宿所三階において、早朝体操のできなかった訓練生に対して課される自主トレーニングと称する訓練を行う際、乙の頭部、腰部を何回となく足で蹴り、腕部、臀部等を竹刀で何回も殴打した。

被告Aは、同月五日又は六日の午後のヨット訓練の際、ティラーで乙の腕部、手甲部を何回も殴打し、頭部に対してもヘルメットの上から何回も殴打した。

被告Bは、同月八日ころの早朝体操の際、乙の顔面を手拳で数回殴打し、腹部を数回足で蹴った。

被告戸塚は、同月九日ころの早朝体操時、腹筋運動を行っている乙の腹部を靴履きのまま踏み付け、被告Eは、右同日ころの夜、合宿所三階において、自主トレーニングの際、乙の腹部を竹刀で数回強打した。

被告D及び被告Fは、同月七日から一一日までの間の早朝体操時、乙を突堤上から海に突き落とした。

被告戸塚は、同月八日から一一日までの間の早朝体操時、乙がうつぶせになって背筋運動を行っていると、乙の顔面を靴履きのまま数回足で蹴った上、脇腹、大腿部を靴履きのまま何回も足で蹴る暴行を加え、これにより、乙はぐったりし、瞼が腫れて目が十分に開けられず、唇も甚だしく腫れ、鼻血を出した。

その他、同月五日から一一日までの間、被告戸塚、被告D及び被告Fは、早朝体操時、毎日のように、乙の身体を殴打したり足で蹴ったりし、被告Cも、早朝体操時、乙の身体を履物で殴打するなどの暴行を毎日のように加えた。

被告らの右暴行によって、乙は次第に衰弱し、食事ものどを通らないようになっていき、訓練生の間では、乙はもうすぐ死ぬのではないかとの言葉まで交わされるようになった。

(二) 同月一二日早朝の不法行為

乙が、同月一二日の早朝体操時、合宿所近くの突堤で腕立伏せができず這いつくばった状態になっていると、被告Fは、乙の襟首をつかんで身体を引き上げ、乙を突堤の下のコンクリート部分に突き落とし、「早く海に入れ。頭まで漬かれ。」と怒鳴り付け、被告F自身も突堤の下に降りて、乙の身体を殴打したり足で蹴ったりし、頭を持って乙を海に沈め、その後、突堤上において、乙の身体を二〇回ないし三〇回にわたって足で蹴ったり踏み付けたりした。

被告戸塚は、引続いて行われた腹筋運動の際、うずくまっていた乙の胸倉をつかんで正座させ、「こいつは拒絶反応が強い。」などと言いながら、乙の鼻付近を手拳で六、七回殴打した上、腰付近を足で蹴り、さらに、被告D及び被告Fは、乙の身体をそれぞれ約一〇回ずつ殴打したり足で蹴ったりした。

(三) 同月一二日午後の訓練時の不法行為

被告Aは、同日午後のヨット訓練開始の際、乙が合宿所から出て来なかったことから、訓練生に対し乙を連れて来るように命じ、訓練生数名に被告Dも加わって、合宿所三階へ行き、被告Dは乙の顔面を平手で二回くらい殴打し乙を引きずって引っ張って行き、その後、訓練生らが乙を堤防まで連行した。

堤防上において、被告Dは、乙を仰向けにひっくり返したり、胸倉をつかんで引きずり、さらにうつ伏せにひっくり返したりした上、左右の手拳で乙の顔面や脇腹を繰り返し殴打し、脇腹を膝蹴りするなどして執拗に暴行を加え、被告Aも、被告Dと共に、乙の脇腹、腰、足などを繰り返し足で蹴った。

また、被告戸塚は、乙が「ヨットはやれません。」と述べたことから、「こいつは拒絶反応が強すぎる。」と言い、乙の胸倉をつかんで顔面を手拳で数回強打した上、腹部、腰部を数回足で蹴った。

さらに、被告Aは、被告Dに対し、「こいつは気を失った振りをしている。嘘をついている。海の中へ入れちゃえ。」と命じ、被告Dは、乙を抱えて堤防を降り、海中に放り投げた。

その後、被告Aは、乙を本部艇に乗せて海上に連れ出したが、乙は動けるような状態ではなかった。

ヨット訓練が終わり、乙の乗った船が船着場に戻ったところ、被告Bは、同船内において、動こうとしない乙の頬を平手で数回殴打し、乙が訓練生らによって船から降ろされた後、乙の襟首付近をつかみ、額をコンクリート製の突堤の側面に数回たたき付けた。

(四) 同日午後の訓練終了後の不法行為

乙は、浜辺に設けられた焚火の近くに運ばれ、うつろな目で生気を失って横たわっていたが、被告戸塚は、乙に対し、小さい木切れを折っては投げ付けた。

その後、被告Dは、乙の襟首付近をつかんで波打際まで引きずって行き、乙を海水中に二、三回倒し、顔面を繰り返し海面下に押さえ付けた後、乙の襟首付近をつかんで焚火の所まで引きずって行き、「寒いだろう、当たれ。」などと言って乙の背後から両脇に両腕を差し込んで上半身を抱え上げ、焚火の火にかざしてあぶり、乙が熱さに耐え兼ねて力なく火から顔を背け、「許して下さい。」と小声でつぶやくのも聞き入れず、乙の身体を火から遠ざけてはまた火にあぶるということを繰り返し、その後、逆に「熱いだろう。」と言って、乙の襟首をつかんで波打際まで引っ張って行き、乙を海水中に二、三回投げ倒し、顔面を海面下に押さえ付けた。

さらに、被告Dは、四つ這いになった乙の腹部を蹴り上げて乙を蹴り倒し、これを五、六回にわたって繰り返した上、乙に対し、「犬みたいに鳴け。」と言って、「ワン、ワン」と犬の鳴き声までさせた。被告戸塚を初め、被告A、被告B、被告Fらは、これを眼前に見ながら焚火に当たっていた。

5  乙の死亡に至る経緯

(一) 訓練生らは、被告戸塚の指示を受けて、乙を合宿所に連れて行き、温水シャワーを浴びせたところ、乙の容態が悪化したため、被告戸塚は、合宿所一階の部屋において乙に対し心臓マッサージを施し、被告Aらに対し乙を平病院へ連れて行くように命じ、これを受けて、被告A、H、I及び訓練生らが、乙を自動車に乗せて平病院へ運んだ。

(二) 乙は同日午後六時ころ平病院へ搬送されたが、医師が不在であったため看護婦中山ゆかりが酸素吸入等の応急処置を施した後、乙は常滑市民病院へ搬送され、同病院の医師らが処置に当たったものの、同日午後一一時三〇分ころ、乙の死亡が確認された。

6  本件不法行為と死亡との因果関係

(一) 乙の昭和五七年一二月一三日の解剖時の状況

(1) 外表所見によれば、頭部に四群の創傷(皮下出血、表皮剥脱)、顔面に二八群の創傷(皮下出血、表皮剥脱、粘膜下出血)、胸腹背部に三五群の創傷(皮下出血、表皮剥脱)、上肢に二七群の創傷(皮下出血、表皮剥脱、線状創、筋肉内出血)、下肢に二一群の創傷(皮下出血、筋肉内出血、表皮剥脱、水泡)、合計一一五群の創傷が存在し、右創傷の中にはやや陳旧なものが混在していた。

(2) 内部所見によれば、頭部に頭皮内出血及び硬膜下出血、前胸部に筋肉内出血、心臓に外膜下出血、左肺におびただしい溢血点、右肺に出血及び溢血点、頸部気管に溢血点、胃に粘膜下出血、十二指腸に多発性小潰瘍及び粘膜下出血がそれぞれ存在した。

(3) 組織検査によれば、①大脳、脳幹共に強い水腫とうっ血があり、小脳にもうっ血と水腫があった、②心臓にはうっ血と水腫があった、③肺は毛細血管が著明に拡張し、肺胞内に洩出液を伴い、肺水腫があり、小血管にフィブリン血栓があった、④腎臓は、皮質、髄質共にうっ血があって、特に皮質のうっ血が高度であり、間質には水腫が中等度出現していた、⑤副腎にも強いうっ血があった、⑥肝臓は、うっ血が中等度で、急性末梢循環不全を推定させた、⑦脾蔵には急性のうっ血が認められた、⑧胸線には強いうっ血があった、⑨左大腿筋には著明な浮腫があり、筋繊維間に血球の洩出も見られた。

(二) 乙の死亡原因

右のとおり、組織学的にみて乙の各臓器には末梢性の循環障害を示す変化が著明に出現していたから、乙の死亡原因はショックであるというべきであり、そのショックの原因は外傷性のものであって、乙の死体に存在した全身のおびただしい数の外傷が、総合、蓄積されて、生活機能に重大な悪影響を与えたことにより生じたものである。

(三) 被告らの暴行と死亡との因果関係

前記の乙の死体に存在したおびただしい数の損傷のほぼすべては、表皮剥脱、皮下出血、筋肉内出血に限られていることや、損傷の数が極めて多く、全身の各所に分布していて、やや陳旧なものが混在していることなどからすれば、前記4記載の被告戸塚及び被告コーチらの反復する打擲、蹴上げ、引きずり等の暴行によって生じたものであることが明らかであり、乙は、被告戸塚及び被告コーチらの右暴行により、外傷性ショツクに陥って死亡したものというべきである。

7  被告らの責任

(一) 被告戸塚及び被告コーチらの責任

被告戸塚は戸塚ヨットスクールの校長として、被告コーチらは同ヨットスクールのコーチとして、それぞれの資格において、乙のヨット訓練及び合宿所での生活管理を共同して実施していたから、右被告らは、乙の生命身体の安全を初め健康管理にも十分配慮し、乙のその時々の心身の状態に応じた慎重かつ適切な訓練及び生活管理上の措置を講ずるべきであるとともに、戸塚ヨットスクールでは訓練生に対し多分に生命身体に危険のあるヨット訓練を受けさせるのであるから、自ら又は専門家に依頼するなどして、常に医学的かつ科学的に訓練生をサポートすることができる態勢を確立し、かつ、訓練生の個別の身体的、精神的状態を把握し、少しでも異常が認められるときは、直ちに訓練を中止し手遅れになる前に適切な医療的措置を講ずるべき業務上の注意義務を負っていた。

しかしながら、被告戸塚及び被告コーチらは、右注意義務を怠り、乙に対し、一体となって、訓練と称して、一週間以上にわたり前記のような残忍な暴行を加えて乙の全身に一〇〇か所を超える傷害を与え、乙が衰弱し切って周囲の訓練生に死を予感させるような異常な肉体的、精神的状況に陥っていたにもかかわらず、被告戸塚及び被告コーチらは、適切な時期に適切な医師の手当を受けさせることもなく、逆に過酷かつ非人間的な暴行を加え続けることにより、乙に外傷性ショックを惹起させて死亡させたものであって、右被告らには、故意又は少なくとも重大な過失がある。

そして、乙に対する個々の暴行は、その時々において乙の訓練等を担っていた被告戸塚や被告コーチらの全部又は一部が行ったものであるが、戸塚ヨットスクールにおいては、指導方針として体罰が容認されていたのであるから、これらの暴行は、被告戸塚を頂点とする右被告らにおいて、相互に容認され、相互に利用し合う関係の下で行われたものであって、右被告らは、民法七一九条一項に基づき、原告に対し、連帯して、乙の死亡に伴う後記8の損害を賠償する責任がある。

(二) 被告会社の責任

乙の死亡当時、被告戸塚は被告会社の代表取締役であり、被告コーチらは被告会社の従業員の地位にあった。

被告戸塚及び被告コーチらの行った乙に対する前記不法行為は、被告会社の営む戸塚ヨットスクールの運営及び執行に伴うものであるから、被告会社は、民法四四条一項及び同法七一五条一項に基づき、原告に対し、他の被告らと連帯して後記8の損害を賠償する責任がある。

8  損害

(一) 乙の逸失利益

四二二六万六五五七円

乙は、死亡当時、神奈川県藤沢市鵠沼中学校一年に在籍し、学業成績も良好かつ健康な満一三歳の男子であった。

乙は、祖父が我が国有数の監査法人である××会計社の代表社員を務める公認会計士であり、養父の丁は慶応大学を卒業し、実母である原告も学校法人桑原デザイン研究所(現東京造形大学)を卒業しているという家庭環境にあり、乙本人も最終的には四年制の大学への進学を希望していたから、乙の意思及び能力並びに家庭環境から見て、本件事件がなければ、乙は、当然四年制の大学に進学し、卒業後は六七歳に達するまで四五年間の労働が可能であったものというべきである。

したがって、右期間の逸失利益は、昭和五七年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・新大卒・男子労働者の全年齢平均の年収額である四五六万二六〇〇円を基礎として、生活費として五〇パーセントを控除し、ホフマン係数(死亡時から六七歳までの五四年間の同係数25.8056から、死亡時から二二歳までの九年間の同係数7.2782を控除する。)を用いて算定すべきであり、これに従って乙の死亡当時の右逸失利益の現価を算出すると、四二二六万六五五七円(4,562,600×(1−0.5)×(25.8056−7.2782)=42,266,557)となる。

(二) 乙の慰謝料 二〇〇〇万円

乙は、前記のとおり、他の訓練生らとは異なり、戸塚ヨットスクールにおけるヨット訓練を通じ、自分の心身を鍛練しようとの少年らしい希望に燃えて、同ヨットスクールに自ら進んで入校したものであったが、右希望は全く裏切られ、前記のとおり、被告戸塚及び被告コーチらは、体力差等を全く無視して、訓練等に付いていけないことを理由に、無抵抗の乙に対し、全身にわたって手拳や棒等を用いての殴打、足蹴りあるいは火責め水責め等の残忍極まりない暴行を一週間以上の間絶え間なく加え続け、離脱の自由も外部に然るべき救いを求める手段も全くない乙の全身に、前記のように一〇〇か所を超える傷害を与え、その結果、外傷性ショックという極めて無残な形で死に至らしめたものであって、右のように陰惨な密室犯罪によって若年の身で死亡させられた乙の肉体的、精神的苦痛は計り知れず、その慰謝料としては二〇〇〇万円が相当である。

(三) 相続

前述のとおり、原告は乙の実母であり、丁は養父であって、乙の実父は乙の死亡前に他界しているので、原告は、乙の死亡により、乙の被告らに対する損害賠償請求権の二分の一を相続したから、前記(一)の四二二六万六五五七円の二分の一である二一一三万三二七八円及び前記(二)の二〇〇〇万分の二分の一である一〇〇〇万円の合計三一一三万三二七八円の損害賠償請求権を取得した。

(四) 原告固有の慰謝料

五〇〇万円

原告は、乙の心身の鍛練のためにと考えて、丁と相談し乙の意向を確認した上、大きな期待をもって乙を戸塚ヨットスクールに入校させたものであり、乙には情緒障害等の問題は全くなかったものであるのに、乙を預けて九日目に当たる同年一二月一二日の夕刻、突如として乙の入院とそれに続く死亡を知らされ、しかも入校前は傷一つなかった乙の遺体には、前記のように幾多の傷が無惨にも残っていることを見せられたのであり、一人息子として将来を期待した我が子が、前記のように、助けを呼ぶ方途もないまま言わば密室状態で常識では考え得ないような残虐な暴行を受け続けた結果死亡させられたものであるから、原告が親として受けた精神的衝撃は計り知れないものがあった。

しかも、被告戸塚及び被告コーチらは、右のように自らの加えた暴行の連続によって乙が死亡したことが明らかであるにもかかわらず、責任を認めようとしないばかりか、マスコミに対するコメントや刑事事件において、乙の死因がさも異常体質にあるかのように主張するなど臆面もなく自らの正当性を主張し続け、原告ら乙の親族に対して一度として謝罪をしていないことを考えると、原告の精神的苦痛は未だに全く慰謝されていないものというべきである。

以上のとおり、原告の受けた精神的苦痛は甚大であり、その慰謝料は五〇〇万円を下ることはない。

(五) 弁護士費用

原告は、原告代理人三名に対し本件訴訟の提起、遂行を委任したが、その着手金及び成功報酬としては合計七〇〇万円が相当である。

9  よって、原告は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、各自、右8の合計四三一三万三二七八円の内金三九六三万三二七八円及びこれに対する損害発生の日である昭和五七年一二月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、乙の実父丙が昭和五三年七月一五日に死亡したことは知らず、その余の事実は認める。

2  同2のうち、戸塚ヨットスクールにおいて、訓練生の逃走を防ぐため、監視要員を置いて見張りをしていたこと、被告コーチらが、訓練生に対し、早朝体操時に手や棒で殴打し足で蹴るなどの体罰を加えたこと、海上訓練時に水をかけたり救助艇でヨットを転覆させたりしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

訓練生に対する監視を行うことは、訓練生の父兄から特別合宿訓練の委託を受けた戸塚ヨットスクールとしては、訓練生のスクールからの脱出に伴う危険を回避し、訓練生の安全を維持するための当然の義務である。

また、早朝体操は、普通の体力を持つ者が真摯に努力すれば、これを消化するのに決して無理な内容ではない。一部の訓練生は、社会、学校、家庭から放任され、不健全で怠惰な生活に慣れ親しんできたため、コーチらの目を盗んで怠けるので、コーチらの叱責を受け、中には体罰を受ける者が出てくるような状況に至るに過ぎない。

3  同3のうち、乙が小学校六年生の時に副鼻腔炎に罹患し手術を受けたこと、原告及び丁が、昭和五七年一二月三日、乙を戸塚ヨットスクールへ入校させるため申込みをし、入校を許可され、乙が同月四日午後九時ころ同ヨットスクールに入校し合宿所へ入ったことは認めるが、その余の事実は否認し、若しくは知らない。

4  同4の各事実は否認する。

5  同5の各事実は認める。

6  同6のうち、(一)の事実は認め、(二)、(三)の各事実は否認する。

7  同7、8の各事実は否認する。

三  被告らの主張

1  乙の戸塚ヨットスクール入校時の心身の状況について

(一)(1) 乙は、出生時には、臍帯が首の回りに三回巻き付き、仮死状態で、チアノーゼの症状が少し出ていたし、また、五、六歳ころより、虚弱体質で体力がなく、環境の変化等により発熱したりした。

(2) 乙は、小学校五年生に在学していた昭和五五年に、頭痛が激しくなり、学校も欠席することが多くなったため、東京電力病院で診察を受け、同病院の紹介で同年一〇月から平塚市民病院耳鼻咽喉科と茅ケ崎クリニックに通院するようになった。

乙は、平塚市民病院耳鼻咽喉科では副鼻腔炎と診断され、通院を重ねた上、昭和五六年の夏休み中(当時小学校六年生)の七月二〇日から二六日までの間入院して手術を受けた。

(3) 乙は、戸塚ヨットスクール入校直前の昭和五七年一一月四日まで茅ケ崎クリニックに約一〇回にわたり通院したが、初診の段階で、心理学的側面からは心因反応、緊張性頭痛と診断され、脳波学の側面からは、脳波検査において、徐波が混入しているほか、後頭部の領域で脳波が非対称であると診断された。そして、脳波に関する診断結果から、その後も脳波検査を行うこととなり、昭和五六年一一月二〇日の診察の際には、脳波の改善傾向が認められ、昭和五七年一一月四日の診察の際には、脳波検査の結果は改善傾向にあるから、特別の治療をしなくても正常波に戻るだろうとの診断がされた。

(二) したがって、乙が戸塚ヨットスクールに入校した昭和五七年一二月四日当時は、最後に脳波の検査を受けてから一か月しか経過していないから、未だ乙の脳波は正常波に戻ることはなく、乙にはある程度の異常が存在していたというべきである。そして、乙は、環境の変化に対応することができず、頭痛、発熱、食欲不振等の症状が現れるとか、いじめに遭うなどの問題を抱えており、これはいわゆる無気力の一種である。

(三) また、乙は、戸塚ヨットスクール入校直後の同月七日に平病院で行われた血液検査の結果において、白血球数、GOT値及びGPT値が正常でなかったから、肝機能障害ないしは心筋梗塞に罹患していた可能性があった。

2  乙の身体の損傷の実態とその成因

(一) 損傷の部位と程度

乙の死体の損傷状況を見ると、頭部、腹部には皮下出血を伴う損傷はなく、背腰部には皮下出血を伴う損傷が一か所あるがその程度は軽微であり、胸部に皮下出血があるものの、それは心臓マッサージや人口呼吸の際に生じた可能性があるものであって、さらに、内臓にはほとんど損傷はない。また、損傷中の七一パーセントを占める表皮剥脱のうち革皮様化しているものは、死亡前の比較的新しい時期にできたものである。

以上の乙の死体の損傷状況は、原告の主張する乙に対する暴行の態様と矛盾し、右損傷状況からすれは、原告の主張するような激しい暴行は行われていなかったというべきである。

(二) 被告らの暴行以外の原因による乙の損傷

(1) ヨットの船体は極めて硬度の高い強化プラスチックで造られ、船上にはロープ、マスト等を固定するために多くの金具が取り付けられており、セールの下部を固定する金属製のブームは、風向に従って左右に移動する構造になっている。また、岸壁等にはふじつぼが生息し、身体が接触すると傷ができやすい状況になっている。さらに、ヨットから本部艇への移乗時には、両艇の揺れ方の違いから船体に身体の一部を挟まれることがある。

したがって、ヨット訓練においては、擦り傷、打僕、皮下出血等の受傷をすることがよくある。

乙は、一二月五日、六日、七日、一一日にヨット訓練をしているから、この訓練時に多数の損傷を負った可能性が大きく、乙の皮下出血を伴う損傷のうち相当部分がヨット訓練によるものというべきであるし、左大腿の皮下出血、筋肉内出血等の損傷は、ヨットと本部艇あるいは救助艇との各移乗時に左足を挟まれたことによって生じた可能性がある。

(2) 朝の体操はコンクリート製の堤防上で行われているから、その際に擦り傷等が発生することがある。

(3) 戸塚ヨットスクールの訓練生らは、一二月一二日午前六時ころ、堤防上で、乙の尻が地面に付き足を前に出して膝が若干曲がっている状態で乙を引きずるなどし、また、同日午後の訓練が始まるころ、訓練に出るのを嫌がって終始抵抗する乙を、ウエットスーツに着替えさせて合宿所から堤防上まで連れ出した。

乙は、右の機会に、相当多数の表皮剥脱、皮下出血を伴う損傷を蒙った可能性が高い。

(4) 以上によれば、乙の身体の損傷は、被告らの暴行以外の原因によって生じたことは明らかである。

3  乙の死因は外傷性ショックではない。

(一) 原告は、乙の死因を、全身のおびただしい数の外傷が総合、蓄積されて、生活機能に重大な悪影響を与えたことによる外傷性のショックであると主張する。

ところで、外傷性のショックについては、①大出血に基づく失血、火傷など循環血流量が不足することによる血液原性ショック、②ヒスタミンや菌内毒素あるいはカテコールアミン等の分解産物が血管壁に直接作用して末梢血管が拡張し、そこへ血液が貯留することによる血管原性ショック、③広範囲な筋肉挫滅により遊離したミオグロビンその他により下部尿細管が障害され急性腎不全を来す挫滅症候群が考えられる。

しかし、乙の死体に存在した外傷は、右各ショックを招くに足りるようなものではないし、血液原性ショックを招くような外出血、内出血もない。

そして、血管原性ショックの場合には、多くの場合、心臓内にほとんど血液がなく空虚であるとされるが、乙の解剖結果によれば心臓には流動性血液が中等量存在したとされる点で、右ショックは否定されるべきであるし、挫滅症候群の場合には、腎臓にショックに伴う異常所見が高度に見られることになるはずであるが、乙の解剖結果によれば、腎臓にいわゆる挫滅症候群の所見がなかったとされる点で、挫滅症候群は否定されるべきである。

(二) 乙の死体に存在した皮下出血を伴う損傷の七割以上は、死亡前三、四日くらいに発生したものであるから、外傷性ショックにより死亡したのであれば、遅くとも一二月一二日より三、四日前にショック症状が発現して死亡しているはずである。

(三) 乙には、一二月一二日午後、筋肉の硬直現象が見られたが、この現象は、外傷性ショックによって発現するものではなく、直腸内温度が摂氏(以下、同じ)三五度以下に下がった時に、低体温症の症状として一時的に発現するものである。

(四) ショックの場合には、尿細管上皮の変性が出現し、尿細管上皮の脱落が見られるはずであるが、乙の解剖時には右所見は認められない。

(五) ショック症状で死亡した場合には、腸粘膜、肝臓及び腎臓に充血と壊死が見られるはずであるが、乙の解剖時には右所見は認められない。

(六) 以上によれば、乙の死亡原因が外傷性ショックでないことは明らかである。

4  乙の死因は低体温症である。

(一) 低体温症とは、生体が寒冷にさらされ、体温喪失に熱産生が追い付かず、深部体温が三五度以下に低下し、放置しておくと死に至る凍死に瀕した状態のことをいい、激しい寒冷条件を必要とせず、風速、湿度等の気象条件、疲労、栄養状態、被服状態、アルコール、薬物服用、位温低下を来す危険性のある基礎疾患の有無等の諸条件が関与することにより、気温が二〇度以上であっても発症し得るものであって、その死亡率が高いことから直ちに治療を必要とする重篤な疾患である。

低体温症の症状として、体内温三七度ないし三四度で、血管収縮、皮膚蒼白、頻脈、利尿、震え、見当識障害が、三三度ないし三〇度で筋硬直等の症状が見られる。

(二) 乙の死因が低体温症と考えられる根拠は、次のとおりである。

(1) 乙の身体の状況

乙は、痩身かつひ弱な感じで、肝機能障害の疑いが存したほか、食事をあまり摂らず、体に外傷を負っていたから、低体温症に対する抵抗力が減弱していた。

(2) 気象条件

一二月一二日は、天候は晴、気温は、海上で7.4度ないし10.9度、地上では11.5度ないし一三度、水温は14.1度ないし14.2度、風速(午前九時、午後三時の測定)は3.3メートルないし5.7メートルであり、相当強い季節風が吹く寒い日であり、気象面において低体温症発症の条件は十分にあった。

(3) 乙の置かれた状況

乙は、一二月一二日、朝の体操時に海中に漬けられ、午後の訓練開始直後に浜辺で身体全体を海水に漬けられ、その後、素肌にウエットスーツを着て濡れた状態で海上に出て、救助艇、本部艇の上で少なくとも一時間前後以上を過ごし、午後三時四五分ころの訓練終了後、再び浜辺で海中に漬けられた。

その後、乙は、吹きさらしのシャワー室で温水シャワーをかけられ、いったん合宿所の三階に運ばれた後、再びシャワー室へ戻されるなどしており、その間の三〇分ないし一時間の間、体熱が放散される状態下にあった。

(4) 乙の症状

乙は、シャワー室に運ばれる前後ころには、ガチガチと表現されるような筋肉の硬直現象を来し、同日午後五時過ぎころ、意識を消失して被告戸塚のマッサージを受けるなどし、午後六時五五分ころ常滑市民病院の救急処置室に搬入されたが、その時の体温は三五度に達しなかった。

(三) 以上によれば、乙が多量の体熱の放散が起こるような寒冷下に長時間さらされ、低体温症に陥ったことにより死亡したことは明らかである。

5  常滑市民病院における医療過誤による死亡の可能性

(一) 乙は、合宿所から搬送された平病院において、当初は血圧が微弱で測定できない状況であったものの、その後、血圧は一〇四にまで上昇したことが確認され、脈拍も安定するまでに回復していた。

(二) その後、乙は常滑市民病院の救急処置室に搬送され、同病院の医師らは、右救急処置室において、乙に対しボスミン一アンプルを皮下注射の方法によって投与したが、心停止を惹起する危険性のあるボスミンを皮下注射することは誤りであり、しかも一アンプルも使用するのは過剰に過ぎ、そのために乙は心停止に至ったものである。

(三) 常滑市民病院においては、通常の体温計により測定したところでは乙の体温は三五度に達しなかったにもかかわらず、低体温症の診断のために必要な電子体温計による体温の測定をしなかったのみならず、低体温症に対する治療手段である復温方法も用いなかった。

(四) 以上のとおり、乙は適切な治療を受けていれば十分回復し得た状況にあったにもかかわらず、右(二)、(三)の点で医療過誤があり、そのために死亡という結果をもたらしたものというべきである。

6  被告らの行為は、正当な業務行為であり、違法性がない。

(一) 情緒障害児の問題が社会的に深刻化する一方で、国、地方公共団体等の公的機関における対応が甚だ不十分なものであるという状況の中で、戸塚ヨットスクールは、入校した情緒障害児等の訓練生に対し、訓練用に設計されたヨットを用いて、転覆、引起し及び帆走を繰り返し行わせることにより、海との闘いを克服して、ヨットを自らの意のままに操縦し得るとの自信を持たせ、学業その他の日常生活の中においても、人に伍して生活していくための原動力を養い、社会復帰させることを目的としていた。

訓練生らは、一般に入校前の相当の期間にわたって怠惰な起居を繰り返してきているから、右のヨット操縦のためには相当の体力をつける必要があるが、訓練生らの右のような怠惰な生活習慣を打ち破って、基礎体力を養うための早朝運動に習練させ、体力の回復を図るためには、訓練生らに対して相応な程度の強制を用いることも止むを得ない。

そして、右のような訓練を行う以上、どのような訓練方法をとるかは、相当程度教える側の裁量に委ねられており、また、スポーツの訓練には「体に覚えさせる」とか「体で教える」という側面があることは否定できないから、訓練の過程である程度の実力行使があったとしても、これを直ちに違法な暴力、傷害行為として違法視することはできない。

(二) 戸塚ヨットスクールにおける特別合宿訓練が情緒障害児の治癒に有効であることは明らかであり、そのことは、同ヨットスクールを取材した上之郷利昭の「スパルタの海」と題する著作や、同ヨットスクールの特別合宿生活に参加し、被告コーチらや訓練生らと寝食を共にした心理学専門の水谷巍、ジャーナリストの磯貝陽悟及び児童学専攻の白神弘子らが、それぞれ調査したり訓練生らにアンケートを実施するなどして得た結論からも裏付けられている。

(三) 戸塚ヨットスクールの特別合宿に訓練生が参加する際には、その親やその他の身内の者は、被告会社の代表者である被告戸塚に対し、当該訓練生の監護教育については一切を委託する旨誓約し、被告戸塚及び被告コーチらが訓練生に対し必要に応じて懲戒権を行使し体罰を行うことも承知していた。

親権者が、監護教育の目的を実現するため、必要な限りにおいて、懲戒権の行使として体罰を加えることは、止むを得ないこととして一般に是認されており、親権者から監護教育の委託を受けた第三者が親権者に代わって体罰を加え得ることも、親権者の場合と同様というべきである。

したがって、戸塚ヨットスクールにおける右のような体罰の行使が、直ちに違法行為に該当するものでないことは、明らかである。

7  損害について

(一) 逸失利益について

乙は、高等学校卒業で学業を終了した蓋然性が高いものというべきであり、昭和五七年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・旧中新高卒の一八歳ないし一九歳の男子の平均賃金を基礎として逸失利益を算出すべきである。

(二) 乙の慰謝料及び原告固有の慰謝料

乙の死亡事故はヨット訓練の過程において発生したものであること、戸塚ヨットスクールでは、乙に対し、一二月六日に接骨医の松本太による診察、同月七日に平病院における健康診断及び同月八日に小林歯科医院における歯科治療を受けさせるなど医学的な配慮をしてきたこと、乙の死亡時に存した傷のうち一部が被告戸塚や被告コーチらの暴行によるものであったとしても、ヨット訓練の中で受傷した部分が相当多いものであること、被告戸塚及び被告コーチらは、原告や丁らの依頼を受けて、乙に対し、強い健康な体を持った子供になって欲しいと考えて厳しいヨット訓練を課したものであること、乙は、被告戸塚及び被告コーチらの暴行による外傷性ショックによって死亡したのではなく、低体温症によるショックのために死亡した蓋然性が高いこと、及び常滑市民病院における医療過誤が競合していることなどを考慮すると、本件においては、原告の慰謝料(乙に生じた慰謝料のうち原告が相続した部分及び原告固有の慰謝料を含む。)の相当額が六〇〇万円を超えることはない。

8  過失相殺について

(一) 原告及び丁は、上之郷利昭の著作「スパルタの海」を読み、戸塚ヨットスクールが、登校拒否、家庭内暴力、無気力あるいは非行等の問題を抱えた情緒障害児のうち特に症状の重い者に対する矯正、教育を目的とすることや、同ヨットスクールにおける訓練状況を承知し、乙に対しても同様の厳しい訓練が課されることを十分理解し、かつ認容し、率先して乙を戸塚ヨットスクールへ入校させた。

また、戸塚ヨットスクールにおいて、昭和五四年二月にJが死亡し、昭和五五年一一月にKが死亡したことは、右「スパルタの海」に記載されているのみならず、各種の新聞、雑誌等でも報道されていたし、昭和五七年八月にL及びMがフェリー「あかつき」船上において行方不明となったことは、マスコミが「あかつき号事件」として大きく報道していたから、原告及び丁はこれらの死亡事故等についても承知していた。

(二) 乙が虚弱な体質であったことは前記1で述べたとおりであり、原告及び丁は、永年乙と一緒に生活してきたのであるから、乙の虚弱体質等について十分認識し、それにもかかわらず戸塚ヨットスクールの訓練に耐えられると判断して入校させたものであり、その判断に誤りがあったことは明白である。

(三) その他諸般の事情を総合考慮すれば、本件については大幅な過失相殺がされるべきである。

9  割合的因果関係について

乙の死亡原因は、原告の主張するような被告戸塚及び被告コーチらの暴行による外傷性ショック死ではなく、前述のように、その主たる原因は、乙の虚弱体質、肝機能障害及び死亡当日における気象条件によってもたらされた低体温症によるものというべきであり、常滑市民病院における治療に過誤があった可能性も高い。

仮に、乙の死亡が、被告らの体罰によって形成された外傷が右の死亡原因と競合した結果によるものであるとしても、その主原因は不明である。

したがって、仮に被告らに乙の死亡について何らかの責任があったとしても、乙の死が原告の主張するような被告戸塚及び被告コーチらの体罰のみに起因するものではないことは明白であって、その損害賠償額は大幅な減額を免れないものというべきである。

四  被告らの主張に対する認否

1(一)  被告らの主張1の(一)の(1)のうち、乙の出生時に臍帯が首の回りに三回巻き付き、チアノーゼが少し出ていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同(2)、(3)の各事実は認める。

(二)、(三)の各事実は否認する。

乙は、戸塚ヨットスクールへ入校した当時、身体的、精神的に異常はなかった。

2  同2の各事実は否認する。

3  同3及び同4の各事実は否認する。

仮に、乙の死亡原因が疲労、低体温症及び精神的ストレスから惹起されたショックであるとしても、被告戸塚及び被告コーチらが、乙に対し、自らに課された注意義務を尽くさないまま訓練を続けたことにより、乙が死亡するに至ったことに変わりはないから、右被告らは注意義務違反の責任を免れるものではない。

4  同5の各事実は否認する。

平病院に運ばれた時、乙は、身体は冷たく、呼吸は浅く、血圧、脈拍は測定できず、名前を呼ばれても応答しない状態であった。

常滑市民病院の医師らは、乙が心停止に至ったため、強心剤ボスミン一アンプルのうち0.5ミリリットルを皮下注射し、残りの0.5ミリリットルを点滴液に注入して投与するなどの懸命な治療をした結果、約三〇分後に乙の心拍は一時回復したものである。

また、仮に乙が死亡時点で低体温症に陥っていたとしても、それは請求原因4の被告らの不法行為に起因するものというべきであり、そのような不法な行為が誘発した結果を常滑市民病院の医師らが排除してくれなかったことを理由として、自らの責任を第三者に転嫁し不法行為責任を免れることは許されない。

5  同6は争う。

仮に、訓練生の父母が監護教育の一切を委任したとしても、その監護教育の一環として行使されるべき体罰は、その程度、内容が社会的に相当な範囲を超えない場合に限って許容されるのであり、戸塚ヨットスクールにおける体罰の実態は相当性の範囲を著しく逸脱していたのであるから、被告らの主張は失当である。

6  同7は、争う。

7  同8は、争う。

乙は、戸塚ヨットスクールへ入校した当時、格別健康上の問題を抱えていたわけではない。

原告及び丁が、戸塚ヨットスクールではスパルタ訓練や体罰が課せられることを承知していたにもかかわらず乙を入校させたことが原告らの過失に該当し、過失相殺すべきであるとの被告らの主張は、信義則上、到底許されるものではない。

また、被告戸塚及び被告コーチらが乙に対して加えたような異常な体罰の行使を予想することは通常人にとって不可能であって、仮に体罰があるとしてもそれは教育的配慮はもとより医学的配慮が十分された上で適切に行使されるものと信じるのがむしろ一般的な感覚であり、原告及び丁がそのように信じていたとしても過失があるということはできない。

8  同9は、争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1について

成立に争いのない甲第一号証の四によれば、乙の実父丙は昭和五三年七月一五日に死亡したことが認められ、請求原因1のうちのその余の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2について

1  戸塚ヨットスクールにおいては、訓練生の逃走を防ぐため監視要員を置いて見張りをしていたこと、被告戸塚及び被告コーチらが、訓練生に対し、早朝体操時に手や棒で殴打し足で蹴るなどの体罰を加え、海上訓練時に水をかけたり救助艇でヨットを転覆させたりしたことは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第五、第六、第八、第一二、第三九、第四〇号証、第四一号証の一、第四二号証、第四六号証の一、第七九、第八一、第八三号証、第八五ないし第八八号証、第九〇、第九四、第九六、第一〇〇、第一〇七、第一〇九、第一一三、第一一七、第一一九、第一二一、第一二二、第一三一、第一三八、第一八七号証、乙第二七号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第五四、第五七、第五八号証の各一並びに被告戸塚宏本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  戸塚ヨットスクールでは、訓練生らは、合宿所に集団で寝泊りし、両親を初め外部との連絡は取れないこととされているのみならず、逃走できないようにコーチらによって常に監視されており(右監視の事実は争いがない。)、このような密室状態の閉鎖された集団生活の中で、訓練生らは、午前六時に起床し午前七時ころまでの間、海岸において早朝体操を行い、その後、午前は八時三〇分ころから正午まで、午後は一時三〇分ころから午後四時三〇分ないし五時ころまで、海上訓練を受けていた。海上訓練については、昭和五七年一〇月ころから、訓練生を午前と午後の二つの班に分け、訓練生はどちらか一方の訓練に参加することとされていたが、新しく入校した者は午前及び午後の双方の訓練に参加する場合もあった。

また、新入の訓練生や早朝体操の各種目を十分にこなせない訓練生には、夕食後の午後八時ころから、三〇分ないし一時間位の時間をかけて、自主トレーニングと称して早朝体操と同じ内容の訓練が課せられた。

そして、右のような体操や訓練は、各訓練生の年齢、体力、経験等にかかわりなく、一律に課されていた。

(二)  早朝体操は、ヨット操縦のために必要な基礎体力を養うことを目的とするものとされ、堤防上を数百メートル走った後、突堤上で、準備体操(ラジオ体操)、腕立伏せ五〇回ないし一〇〇回位、腹筋及び背筋運動各数十回、スクワット及び握力強化運動各数百回、柔軟体操等を行っていた。

早朝体操の内容は、新しく入校した訓練生にとっては特に厳しいものであり、訓練種目を完全にこなすことができる者は皆無であったが、被告戸塚及び被告コーチらは、新しく入校した者であるか否かにかかわらず、すべての訓練生に対し同じ内容の体操を行うことを求め、これに応えられない者に対しては、罵声を浴びせ、手、スリッパ、棒等で殴打し、足で蹴るなどの体罰を加えていた。

また、訓練生を突堤上から約1.5メートル下の海に突き落としたり、砂浜で海水に漬けるなどの体罰を加えることもあった。

(三)  海上訓練は、被告戸塚の注文により特別に設計された、通称「かざぐるま」と呼ばれていた一人乗りのヨットを用いて行われたが、このヨットは、ヨットの操縦技術に習熟していない者にとっては転覆しやすいという特徴を持っていた。

訓練生らは、長袖、長スボンのウエットスーツ、ライフジャケット及びヘルメットを身に着けてヨットに乗り訓練を受けるが、コーチらは、訓練生に対し救助艇から指示を与え、訓練生が真面目に訓練に取り組んでいないと判断した場合には、救助艇を故意にヨットに衝突させて転覆させたり、訓練生に対し、あかくみ(ひしゃく様の道具)やバケツで海水をかけたり、あかくみやティラー等で殴打するなどの体罰を加えていた。

(四)  新任のコーチは、当初は戸塚ヨットスクールにおける体罰の厳しさを見て驚き、殴打や足蹴りという体罰を行使することがほとんどできず、古参のコーチが加える体罰を傍観するのみであるが、訓練生の消極的ないし反抗的な態度に日々接しているうち、訓練生に対しては理屈を説き説得を試みても無駄であり、体罰を加える方が効果が上がり、コーチが手厳しい態度を示さないと訓練生から付け込まれるという考えを持つようになり、やがて、訓練生に対し体罰を行使することは当然のことと考えるようになっていった。

また、コーチらによる体罰の内容も、比較的高年齢の訓練生の増加等に伴い、手拳による殴打、足蹴りというようなものにとどまらず、竹や棒その他の器具を用いて殴打することも行われるなど一層過酷なものになっていった。

戸塚ヨットスクールのコーチらは、右のような体罰をれぞれ独自の判断に基づいて行使していたものであり、戸塚ヨットスクールとして体罰を加えるべき場合についての判断基準が設けられていた訳ではなく、被告戸塚は、コーチらに対し、急所、目、腹、頭、その他骨が出ている部分への体罰の行使を避けるよう注意することはあったものの、その他に体罰の行使について指導、講習をしていた訳ではなかった。また、各コーチらが、情緒障害児の教育について専門的に学んだことはなく、訓練生が抱えていた非行、登校拒否、ノイローゼ等の問題点を把握し、それを意識した訓練、体罰の行使をしていたのでもなかった。

合宿所一階の事務所には、各訓練生の問題点等を記入した特別合宿申込書がファイルに綴じられて保管されていたが、コーチらはそうしたファイルに目を通すこともなかったし、乙が入校した当時は八〇名程の訓練生を抱えていたから、コーチによっては誰が新しく入った訓練生であるのかということすら把握できていない状況であった。

なお、被告コーチら以外のコーチの中には、ほとんど体罰を行使しない者もいたが、被告戸塚が、そのようなコーチに対して体罰を用いるように指導することはなく、体罰を行使するか否かは、各コーチの判断に委ねられていた。

(五)  訓練生に対する右のような体罰の行使を含む訓練や生活管理は、被告戸塚及び被告コーチらが行っていたが、その歳、特定の訓練生に対してその訓練や生活管理に責任を負うべき担当コーチや、訓練生の健康管理を専門的に行う担当者が定められていた訳ではなく、そのような役割は、各コーチらが、その時々において指導に当たった訓練生に対し、それぞれの判断で担っていた。

2  右に認定したところによれば、戸塚ヨットスクールにおいては、各訓練生に対する訓練や生活管理等を被告戸塚及び被告コーチらの全員が共同し、一体となって実施していたものというべきであり、また、同スクールにおいては、訓練生に対し積極的に体罰を行使すべしとする方針が採用されていたとまではいえないものの、体罰と称して訓練生らに暴行を加えることが容認されていたものというべきである。

三  請求原因3及び被告らの主張1について

1  被告らの主張1の(一)の(1)のうち、乙は出生時に臍帯が首の回りに三回巻き付きチアノーゼの症状が少し出ていたこと、同(2)、(3)の各事実、原告及び丁が、昭和五七年一二月三日、乙を戸塚ヨットスクールに入校させるための申込みをして入校を許可され、同月四日午後九時ころ、乙が同ヨットスクールに到着し合宿所へ入ったことは当事者間に争いがなく、右争いがない事実と前掲甲第八七号証、いずれも成立に争いのない甲第二六、第五一号証、第一六〇号証の一、第一六一、第一九〇号証、乙第九、第一三、第一四、第二五、第三四、第三五、第八五号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第四九号証、乙第四〇号証、取下前原告丁本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四七号証並びに右丁本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)(1)  乙は、臍帯が首の回りに三回巻き付いて、チアノーゼの症状を呈し、仮死状態で出生した既往があった。

(2) 乙は、小学校五年生に進級する際に、茅ケ崎市立松浪小学校から同市内のキリスト教系の平和学園小学校に転校し、昭和五七年四月に藤沢市立鵠沼中学校に進学した。

(3) 乙は、小学校五年生であった昭和五五年の秋ころから頭痛やめまいを訴えるようになり、同年一〇月ころ、平塚市民病院耳鼻咽喉科及び精神科専門の診療所である茅ケ崎クリニックで受診したが、平塚市民病院において検査を受けた結果、慢性副鼻腔炎を患っていることが判明し、小学校六年生の時にその手術を受けた。

(4) 乙は、茅ケ崎クリニックには一〇回ほど通院しているところ、初診時には心因反応、緊張性頭痛と診断され、その後の脳波検査の結果、徐波が混入しているほか、後頭部の領域で脳波が軽度の非対称を示すという所見が得られたため、その後も脳波検査を行うこととなったが、昭和五六年一一月二〇日の診察の際には脳波の改善傾向が認められ、昭和五七年一一月四日の診察の際には、脳波はかなり正常に近い状況になり、特別の治療をしなくても正常波に戻るであろうと診断された。

(5) 乙は、やや細身の体格を持ち、平和学園小学校在学中は風邪や副鼻腔炎のために欠席したことがあったが、その欠席日数は五年生時で二七日、六年生時で一六日と特に多くはなく、また、格別の問題行動は認められず、中学校に進学してからはほとんど欠席することもなかった。

(6) 乙は、戸塚ヨットスクールに入校した後の昭和五七年一二月七日、平病院で血液検査を受けたが、その結果によれば、白血球数が一万六五〇〇(正常値の範囲は四〇〇〇ないし八〇〇〇)であったことから何らかの炎症の存在が疑われ、また、GOT値が一六三(正常値の範囲は八ないし四〇)、GPT値が六〇(正常値の範囲は五ないし三五)であったことから肝機能障害が疑われたものの、その他に身体の異常は認められなかった。

また、原告と丁は、乙に肝機能障害の疑いがあることは知らなかった。

(二)  原告は、昭和五七年一〇月ころ、戸塚ヨットスクールのことが書かれている「スパルタの海」と題する単行本を知人から借りて読み、乙を戸塚ヨットスクールに入校させれば、乙はヨットの操縦や苦手とする水泳が上達し、体力にも自信が付くようになるのではないかと考えるようになり、丁にもこれを読むように勧め、原告の考えを伝えたところ、丁もこれに賛同したので、原告は、同年一一月ころ、別の友人から戸塚ヨットスクールの入校案内書を入手した。

(三)  原告と丁は、「スパルタの海」を通じて、戸塚ヨットスクールでは、合宿訓練の過程で、訓練生に対し、殴打、足蹴り等の体罰が加えられていることを知ったが、右のような厳しい体罰は登校拒否や家庭内暴力といった問題を抱えた訓練生に対してのみ加えられるものであると考え、戸塚ヨットスクールについては、その訓練生のほとんどが右のような問題のない普通の子供達であり、ヨットの操縦を通して体力、精神力を養うことを目的とする施設であって、心身を鍛練するという点ではアメリカの士官学校のようなところであり、YMCAの活動よりは厳しい訓練が行われるかも知れないが、自ら身体を鍛えるために入校した子供に対しては、それほどひどい体罰が加えられることもないだろうという程度の認識を持っていたに過ぎなかった。

そして、「スパルタの海」には、過去に二名の訓練生が亡くなっていることも書かれていたが、その死因はあたかも病気であるかのような記述がされていたことから、丁は戸塚ヨットスクールにおける訓練内容に疑問を抱くことはなかった。

また、原告と丁は、右入校案内書に、戸塚ヨットスクールが「人間教育の場」であると謳われており、訓練生に対する安全管理についても十分配慮している旨の記載がされていたことから、人間教育的配慮や医学的配慮が十分された上で訓練が行われるものと考えていた。

(四)  原告は、昭和五七年一二月三日、子供を戸塚ヨットスクールに入れていた友人を通じて、戸塚ヨットスクールに対し入校を希望していることを伝え、その時には入校希望者が大勢いるため順番待ちの状態であるとの返答を受けたが、同日夜、丁がGコーチに電話で事情を伝えたところ、翌日からでも受け入れるとの回答を得たので、乙の入校の意思を確認した上、乙を翌日の同月四日に戸塚ヨットスクールの合宿所に入れることを決めた。

(五)  乙は、同月四日、自ら髪を短く整えるなどの用意をした上、原告と丁に付き添われて、同日午後九時ころ戸塚ヨットスクールの合宿所に到着し、翌日からの訓練に参加することになった。

2  以上によれば、戸塚ヨットスクールに入校した当時の乙は、体格はやや細身であったものの、脳波はかなり正常に近い状態であって特に異常は存在していなかったし、右1の(一)(6)の白血球数の異常による炎症の疑いについては、後記のとおり、乙は戸塚ヨットスクールに入校した後右検査を受けた日までの間に被告戸塚及び被告コーチらから体罰を加えられており、前掲乙第四〇号証によれば、体罰によって生じた傷口から細菌が混入することにより白血球数が増加した可能性が十分に考えられること、戸塚ヨットスクールの訓練生の中には白血球数が一万を超える者が多かったことが認められ、右事実に照らすと、同月七日の検査により乙に炎症の疑いがあったとしても、戸塚ヨットスクールに入校した当時の乙の体内に何らかの炎症があったことまでを認めるには足りないものというべきであるから、右入校時の乙には、肝機能障害の疑いがあったことのほかには、心身に異常がなかったものというべきである。

この点に関し、被告らは、乙がいわゆる無気力の一種に陥っており、問題を抱えた児童であったと主張し、被告戸塚宏本人尋問の結果中等には、右主張に沿う供述部分があるが、右供述部分は、その内容に照らし、被告戸塚らの独断を述べるものに過ぎないといわざるを得ず、他に被告らの右主張事実を認めに足りる証拠はない。

四  請求原因4について

1  前掲甲第六、第八、第三九、第四二、第一一三、第一二一、第一二二号証、乙第二五、第二七、第四〇号証、第五四、五八号証の各一、いずれも成立に争いのない甲第一五、第三八、第四四、第四五、第六六、第一二〇、第一二三号証、第一四八ないし第一五〇号証、第一五八、第一六三、第一六八、第一七一、第一七三、第一七五、第一七八、第一八〇号証、第一八二ないし第一八四号証、乙第二六、第二九、第三一、第三二号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第三九、第四三号証、第五四号証の二、第五五号証の一、第五六号証の一、二、第五七号証の二、第七三号証、いずれも弁論の全趣旨により原本の存在及びその原本が真正に成立したものと認められる乙第一一〇、第一一一号証によれば、次の事実が認められる。

(一)  乙は、昭和五七年一二月五日の早朝体操から訓練に加わったが、被告戸塚及び被告コーチらは、身体を鍛えるために自ら進んで入校したという乙の入校目的を考慮することなく(コーチによってはこの入校目的すら把握していない。)、外部との連絡も取れない状況の下で、ひ弱な体格の乙に対し、他の訓練生と一律に過酷な訓練を課した上、体格が優れないため訓練に付いていけない乙を見て、訓練に対する意欲がないと一方的に判断し、執拗に体罰を加えた。そして、具体的には、少なくとも次のような暴行が乙に加えられた。

(1) 同月五日から一一まで

ア 被告Eは、同月五日ころの自主トレーニングの際、運動のできない乙の腰部付近を数回足で蹴り、腕部、臀部付近を竹刀で数回殴打した。

イ 被告Fは、同月五日又は六日の早朝体操の際、乙の背中を突き飛ばし、乙を突堤の上から約1.5メートル下の海水中に突き落とした。

ウ 被告Cは、同月七日の早朝体操の際、乙が着ていたジャージをまくって背中の部分を露出させた上、ゴム製のサンダルで数回殴り付けた。

エ 被告Bは、同月八日ころの早朝体操の際、乙の顔面を手拳で数回殴り付け、腹部付近を数回足で蹴った。

乙は、連日のように受けた暴行、早朝体操や海上訓練、寒冷暴露等により、同月一一日ころまでには疲労、衰弱し切っており、同月九日ころからは食事もほとんど受け付けないようになっていた。

(2) 同月一二日の早朝体操のとき

ア 被告Fは、腕立伏せができないため這いつくばるようにうずくまっていた乙に対し、その襟首をつかまえ、突堤の上から海水中に突き落とすという暴行を加えた上、「頭まで漬かれ。」などと怒鳴り付けて乙の身体を海水中に漬け、その後突堤の上で、抵抗しない乙の身体を数回足で蹴った。

イ 被告戸塚は、腹筋運動の際、乙の胸倉をつかんで正座させ、「こいつは拒絶反応が強い。」などと言いながら、乙の顔面の鼻付近を数回突くように殴り付けた。

ウ 被告D及び被告Fは、こもごも乙の身体を多数回殴り付け、足で蹴った。

乙は、一二日の早朝体操が終わった後は、合宿所まで独力で歩くことができず、他の訓練生に両脇から抱えられて引きずられるようにして運ばれ、途中からは、付近の住民に片腕を取られ支えられるようにして合宿所まで戻り、午前中は、合宿所三階の男子訓練生の部屋で毛布にくるまった状態で寝かされていた。

(3) 同月一二日午後の海上訓練の前後

ア 被告Aは、午後一時過ぎころ、合宿所近くの堤防上で点呼を取った際、乙がいなかったので、訓練生らに対し乙を連れてくるよう指示した。訓練生らは、被告Aの指示に従い、合宿所三階で寝ていた乙に半袖のウエットスーツを着せて堤防上まで連れてきたが、被告Aから長袖のウエットスーツに着替えさせるよう指示を受け、乙を合宿所へ連れ戻して長袖のウエットスーツに着替えさせたものの、左肩がはだけたままの状態で、再度堤防上に連れてきた。

その際、乙は、訓練に出るのを嫌がり、乙を連れ戻そうとする訓練生らに対し抵抗しようとしたが、訓練生らに両手、両足を持たれて無理矢理連れ出され、乙はその意に反して午後の訓練に参加させられることになった。

イ 被告Dは、堤防近くの砂浜において、乙の身体を波打際の海水中に押し倒した上、背中の付近を何回も踏み付けて海水に漬けた。

ウ 乙は、午後の海上訓練の際には、ヨットの操縦訓練を受けることはなく、本部艇の船室の中に入れられていたが、一人では本部艇への乗り降りもできず、他の訓練生らに抱えられて移動し、青白い顔をしてうわ言のように小さな声を出していた。

エ 被告Bは、午後四時ころ、午後の海上訓練が終了した際、乙を本部艇から救助艇に移して突堤の船着場に戻ったが、乙が自力で動けないのを見て、救助艇から降りた乙の襟首をつかみその額付近をコンクリート製の突堤の側面に二、三回打ち付けた。

オ 乙は、その後、突堤と合宿所近くの堤防に挟まれた砂浜に運ばれ、うつ伏せのまま倒れていたが、近くで焚火に当たっていた被告戸塚は、「しっかりしろよ。」などと言いながら、木切れを折っては乙の方に向けて投げ付け、近くにいた被告A、被告B、被告D及び被告Fも、乙の健康状態を心配することはなかった。

カ 被告Dは、倒れていた乙の背後から両脇に両腕を差し入れるようにして乙を抱え上げ、乙の上半身を焚火に近付け、乙が熱さに耐え兼ねて顔を背け「許して下さい。」と懇願するのを聞き入れず、二、三回同じ仕打ちを繰り返し、また、乙を抱えて波打際まで運び、乙の身体を海水に漬けて四つ這いにさせ、乙の身体を足で蹴り、「犬みたいに鳴け。」などと罵倒した。

(二)  戸塚ヨットスクールにおいては、昭和五四年に訓練生Jが死亡する事件が発生したのを契機として、新入の訓練生に対し平病院において健康診断を受けさせることとしていた。

乙は、一二月七日、被告Cに付き添われて平病院で健康診断を受けたが、乙を診た平医師は、乙が体力的にも精神的にもひ弱で、戸塚ヨットスクールが行う通常の訓練には耐えられないであろうと判断し、被告Cに対し、乙に対する訓練は控え目にするようにと指示し、また、同月九日ころには、前記のとおり健康診断による血液検査の結果が出て、何らかの炎症の存在と肝機能障害が懸念されたため、平医師は、被告Cに対し後日再検査を行う必要がある旨を伝えたにもかかわらず、被告Cは、乙の訓練上留意すべき右事項を各コーチらに伝えることを怠り、その後も、乙は、他の訓練生と同じ内容の訓練を行うことを強要され、その際、前記のような暴行を加えられたものであり、被告戸塚及び被告コーチらは、乙の健康状態について、いささかの配慮もしていなかった。

2  以上のとおりの事実が認められるが、他方では、次のとおり、右認定に反する証拠も存在するので、これらにつき検討する。

(一)  前記1の(一)の(1)アの暴行について

甲第一四二号証及び乙第五三号証中には、被告Eが前記認定に反する供述をしている部分があるが、前掲各証拠によれば、訓練生のN、O及びPが、細部について多少の違いはあるものの、いずれも被告Eが自主トレーニングの際に乙に対し前記認定のとおりの暴行を加えたことを目撃している旨の供述をしていることが認められるのであって、これらの概ね一致した供述に不合理な点は窺われないから、右被告Eの供述部分は直ちに採用することはできない。

(二)  同エの暴行について

乙第五五号証の一中には、被告Bは、一二月八日当時は早朝体操の指導を突堤の先端部分で行うことが多かったから、突堤の海岸寄りの部分で体操をしていた乙に暴行を加えるはずはないという被告Bの供述部分がある。

しかし、同号証中には、被告Bは一二月八日当時乙の存在を認識しておらず、乙が体力がなくもたもたしていれば暴行を加えた可能性があることを被告B自身が認めている供述部分も存在するのであり、また、被告Bと乙との位置関係に関する右証拠中の被告Bの供述部分については、その内容にそのまま従ったとしても、被告Bが乙に接したことがなかったと言い切れるか否かに疑問があるのみならず、同供述部分は乙の死亡後八年も経過した平成二年の刑事公判廷でされたものであることに照らし、その信頼性は疑わしいものといわなければならないから、同供述部分によっても前記認定を覆すことはできない。

(三)  同(2)ア及びイの各暴行について

乙第五七号証の一中には、被告戸塚が、前記認定に反する供述をしている部分があるが、前掲各証拠によれば、訓練生のQ及びRが一致して前記認定事実を裏付ける供述をしている上、被告戸塚自身も、訓練生に対する体罰として、顔面を殴って鼻血を出させるなどの方法をよく用いたとする供述をしていることが認められ、これらに照らすと、前記認定に反する被告戸塚の右供述部分は直ちに採用することはできない。

(四)  同(3)カの暴行について

甲第一七二号証、乙第五四号証の一、第五五号証の一、二、第五六、第五七号証の各一中には、被告Dが乙を焚火に近付けた後に乙を海水に漬けたのは、被告Dではなく被告Fであるとする被告D及び被告Bの供述部分があり、被告戸塚宏本人尋問の結果中にも右と同趣旨の供述部分がある。

しかし、前掲乙第七三号証によれば、訓練生Sの中学校の担任教師で、当日戸塚ヨットスクールの訓練を見学していたTは、乙を焚火に近付けたコーチと海に漬けたコーチは同一人物であると明確に述べていることが認められ、同人の供述は詳細かつ具体的で信用するに足り、また、前掲甲第一二〇、第一二一、第一二三号証、第一四八ないし第一五〇号証によれば、被告B及びHコーチは検察官から取調べを受けた際には、乙を焚火に近付け、その後乙を波打際に運んで海水に漬けたのはいずれも被告Dであるとの供述をしていたことが認められるから、前記認定に反する前記各供述部分は、採用できない。

(五)  以上のほか、前記1の認定を左右するに足りる証拠はない。

五  請求原因5について

請求原因5の各事実は、当事者間に争いがない。

六  請求原因6について

1  乙の解剖時の状況について

乙の昭和五七年一二月一三日の解剖時の状況が、請求原因6の(一)記載のとおりであったことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五五号証(昭和五七年一二月一三日に乙の死体を解剖した矢田昭一医師(解剖時名古屋大学医学部法医学教室教授)が、刑事手続において作成した鑑定書。以下「矢田鑑定」という。)によれば、右創傷のうち表皮剥脱は、その大部分が革皮様化していたこと、下肢に認められた水泡は、左下腿後面のほぼ全域に存在し、一部は表皮が剥れ赤褐色の真皮が露出していたことが認められる。

2  乙の外傷に関する被告らの主張について

被告らは、乙の右外傷は被告戸塚及び被告コーチらの不法行為以外の原因によって生じたものである旨主張するので、以下検討する。

(一)  矢田鑑定によれば、矢田医師は、乙の死体に存在したおびただしい数の表皮剥脱、皮下出血、筋肉内出血は、そのほとんどが鈍体の作用によるもので、具体的には反復する執拗な打擲、蹴上げ、引きずり等によるものと推定していることが認められ、これによれば、そもそも、乙の受けている外傷は、そのほとんどが被告戸塚及び被告コーチらの暴行によって生じたものといわざるを得ないところである。

(二)  なお、念のため、被告らの主張について、それぞれ検討する。

(1) 訓練生らが、一二月一二日の早朝体操の後、歩くことができなかった乙を堤防上を引きずるようにして合宿所に連れ戻し、また、同日午後には、訓練に出ることを拒む乙を、両手、両足を抱えるなどして無理に訓練に連れ出したことは前記四に認定したとおりであるが、同日午後の訓練生らの右行為は、前記四認定のとおり、被告Aが乙の体調を無視し、訓練生に対し乙を連れてくるように指示した結果であり、また、同日の早朝体操の後の訓練生らの右行為についても、早朝体操に参加していた被告戸塚、被告D、被告Fらが訓練生らの行動を管理監督すべきものであったといい得るから、訓練生らが訓練に連れ出した際に乙が外傷を負ったとしても、被告らの不法行為以外の原因によるものということはできない。

(2) 既に認定したとおり、早朝体操では、基礎体力をつけるためにランニングや腕立伏せ等の運動を行っていたが、これが、コンクリート製の堤防上で行われていたとしても、右のような内容の体操の際に自損行為に起因する外傷を負うことは通常考え難いものというべきであり、早朝体操時に乙が外傷を負ったとすれば、それは、被告戸塚及び被告コーチらが、乙に対して前記四に認定した暴行を加えたことによって生じたものというべきである。

(3) 前掲乙第四〇号証によれば、ヨットの操縦訓練をする際には、海の状況やヨットの操縦技術の熟練度等に応じて、訓練生らが手足等に打僕傷や擦過傷を受ける場合があることが認められ、これに照らすと、被告らが主張するように、乙がヨットの操縦訓練を受けていた際に、右のような理由に起因する外傷を受けた可能性があることは否定できないところである。

しかし、矢田鑑定によれば、乙の外傷は表皮剥脱が最も多く、これらは表面がざらざらした鈍体と接触してできたものと考えられることが認められ、他方、既に認定したように、海上訓練の際には、訓練生らは、長袖、長スボンのウエットスーツ及びヘルメットを着用しているから、少なくとも右着用部分について海上訓練の際に表皮剥脱が生じることは考え難いというべきであり、乙がヨットの操縦訓練の際に不可避的に一定の外傷を負った可能性があるとしても、乙が受けている外傷の大部分は、右事由によって生じたものとはいえないといわなければならない。

また、右表皮剥脱はそのほとんどが革皮様化していたことは前記認定のとおりであるが、成立に争いのない甲第三七号証の二によれば、革皮様化している創傷は、死亡に近い時期にできたものであることが認められ、乙が一二月一二日午後一一時三〇分ころ死亡したことは前記のとおりであるが、前記認定のとおり、乙は、死亡当日にはほとんど自力で動くことができない状態であったから、右の外傷が乙の自損行為によって生じたとすることはできないといわなければならず、むしろ、右の外傷は、当日に少なくとも前記認定の程度の暴行が乙に対して加えられていることと、よりよく符合するものというべきである。

(三)  なお、乙の右下腿後面には広範囲に水泡が生じていて、一部は表皮が剥れ、赤褐色の真皮が露出していたことは前記認定のとおりであるが、これについては、矢田鑑定によれば、乙は第二度の熱傷を負っている疑いがあるとされていることが認められ、さらに、成立に争いのない甲第三三号証及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三〇号証によれば、乙が搬送された常滑市民病院においては、乙に対し、湯たんぽ数個を用いて保温する処置が取られていることが認められ、これによれば、右水泡は、同病院における右処置の際に熱傷を負った結果であるという可能性を否定することができないというべきであり、また、被告戸塚及び被告コーチらが乙の右部位に熱傷を負わせるような行為をしたことを認めるに足りる証拠はないから、少なくとも右部位の熱傷については、被告戸塚及び被告コーチらの不法行為によるものとすることはできない。

(四)  以上によれば、乙の死体に生じていた外傷は、その一部について海上訓練の際のヨットの操縦等によって生じた可能性があるものの、なおその相当部分は被告戸塚及び被告コーチらの暴行行為によって生じたものというべきであり、他に、この認定を覆すに足りる証拠はないから、被告らの主張は採用できない。

3  乙の死因について

(一)  外傷性ショックについての検討

(1) 矢田鑑定によれば、矢田医師は、乙には、その全身に分布するおびただしい数の外傷があり、各損傷はいずれも内部の主要臓器の損傷までは伴っていないものの、これが総合、蓄積されて作用したとすると、乙の生活機能に重大な悪影響を与えたことは確実であるとし、組織学的に各臓器に末梢性の循環障害を示す変化が著明に出現していて二次性の外傷性ショックに陥ったことを強く示しているとして、乙の死因は外傷性ショックであると結論付けていることが認められる。

(2) これに対し、成立に争いのない甲第五六号証の二、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第六七、第六八号証によれば、乙の死亡前の訓練状況に関する資料を考慮に入れて矢田鑑定を検討し、その結果につき意見書を作成した木村康医師(意見書作成当時千葉大学名誉教授)は、乙の死体に存在する外傷は、通常の外傷性ショックを引き起こすような重篤なものではないとし、外傷性ショックに至る発生機序として考えられるものについて個別に検討を加え、それぞれについて次のように問題点を指摘し、その上で乙の死因は低体温症であるとしていることが認められる。

ア 外傷による失血死の可能性について見ると、一般に失血が死因と判断される死体の肺は高度の貧血により表面及び割面が灰褐色を呈するが、乙の解剖時の肺にはそのような所見は認められないし、外傷のうちで最も重篤な左大腿の皮下出血も失血死を導くに足りるものとはいえない。

イ 高度の損傷によって破壊された筋肉その他の体組織の中間代謝産物である多量のカテコールアミン等の分解産物が血管壁に直接作用して末梢血管が拡張し、そこへ血液が貯留することによるショックの可能性について見ると、同ショックに陥った場合には、解剖時心臓内にほとんど血液がなくなり心臓内が空虚であることが多いにもかかわらず、乙の解剖時の心臓には流動性血液が中等量存在していた。

ウ 広範囲な筋肉挫滅に伴い急性腎不全を起こす挫滅症候群の可能性について見ると、同症候群の場合には腎臓の尿細管の変化が典型的に現れるはずであるにもかかわらず、乙の解剖時にはそのような所見は認められなかった。

もっとも、前掲甲第五六号証の二によれば、木村医師は、乙の虚弱な体質や肝機能障害の疑い等の素因、更には生前に乙の体表に形成された外傷が、乙の低体温症発症の機序及び低体温症による死亡に何らかの影響を及ぼしたであろうことは否定できないと判断していることが認められる。

(3) また、いずれも成立に争いのない甲第五六号証の一、第七四号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第六〇ないし第六二号証によれば、前記木村医師と同様に乙の死亡前の訓練状況に関する資料を考慮に入れて矢田鑑定を検討し、その結果につき意見書を作成した相原弼徳講師(意見書作成当時横浜市立大学医学部法医学教室講師)は、乙の死体に外傷性ショックを惹起するような外傷、挫傷、火傷等が存在しないことや、挫滅症候群の可能性について前記木村医師の指摘と同様の問題点が存することを指摘し、乙の死因は低体温症であると判断していること、しかし、相原講師も、乙の全身に分布するおびただしい外傷、身体的条件、環境要因、特殊な気象下での訓練等は、低体温死(凍死)の誘因若しくは増悪因子として考慮し得ると判断していることが認められる。

(二)  低体温死についての検討

(1) 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四七号症、いずれも弁論の全趣旨により原本の存在及びその原本が真正に成立したものと認められる乙第六五、第七五、第七六号証によれば、低体温症とは、生体が寒冷にさらされ、体温喪失に熱産生が追い付かず、深部体温が三五度以下に低下し、放置しておくと死に至る凍死に瀕した状態のことをいい、必ずしも厳しい寒冷条件が必要となるものではなく、風速、湿度等の気象条件、疲労、栄養状態、被服状態、アルコール、薬物服用、体温低下を来す危険性のある基礎疾患の有無等の諸条件が関与することにより、気温が二〇度以上であっても発症し、その死亡率は非常に高いものであるとされていることが認められる。

(2) ところで、前掲甲第三〇、第三八号証、いずれも成立に争いのない甲第三号証の九、第二〇、第二一、第七〇号証によれば、本件事件の発生した一二月一二日の合宿所付近の気象条件は、天候は晴、水温は14.0度ないし14.2度、海上の気温は7.4度ないし10.9度、地上の気温(午前九時から午後三時までの測定結果)は11.5度ないし一三度、風速(同時間帯の測定結果)は毎秒3.0メートルないし5.7メートルであったこと、乙は、同日の海上訓練を終えた後、シャワー室へ運ばれる前後ころには寒さに震え、筋肉が硬直状態にあり、また、常滑市民病院へ運ばれた時には、全身に冷感があり体温は三五度に達しなかったことが認められ、さらに、乙が、ひ弱な体格であり肝機能障害の疑いも存していた上、一二月九日ころからほとんど食事を摂っておらず、同月一二日には衰弱し切っていたにもかかわらず、被告らによって海上訓練に連れ出され、体罰の名の下に海水中に漬けられるなどして寒冷下にさらされたことは既に認定したとおりであり、右(1)に照らすと、これらの事実は、本件において乙が低体温症により死亡したと判断すべき要因となり得るものということができる。

(3) 右事実関係からすれば、乙の死亡時の深部体温が何度であったかについて正確な数値を示す証拠はないものの、死亡当時、乙の体温が相当程度低下していたことは明白である上、右に認定したように、木村医師及び相原講師が、乙の死因は低体温症であるとの判断を示しているのみならず、矢田鑑定においても、低体温症は他の死亡原因が見いだせない場合に初めて考えるべき死因であるとされていることが認められ、矢田医師も、乙が低体温症に陥っていたことを明確に否定しているとはいえないというべきであるから、これらによれば、乙の死因としては、低体温症の関与もあったものといわざるを得ない。

(4) しかし、前記認定によれば、乙の体表に生じていた外傷が、それのみでは死亡に至る程度のものではなかったとしても、末梢の循環不全を増悪させる要素になり得るものであることは矢田鑑定に照らし明白であり、乙が低体温症に陥り、これによって死亡したとしても、右外傷がその死亡に相当の影響を及ぼしたであろうことは否定できないものというべきである。

(三)  以上によれば、乙の死亡は、被告戸塚及び被告コーチらの加えた暴行により乙の生前にその体表に形成された多数の外傷のほか、これに、訓練による疲労、食事を満足に摂っていなかったことによる劣悪な栄養状態、乙の虚弱な体質や肝機能障害の疑い等の素因が相乗し、さらに、一二月一二日の午後抵抗する乙を無理に海上訓練に連れ出したことや衰弱し切っていた乙を体罰の名の下に海水に漬けたことなどにより、被告戸塚及び被告コーチらが乙を寒冷に暴露させたことなどの諸要因が相まってもたらされたものというべきであり、前記四の被告戸塚及び被告コーチらの行為が乙の死亡の原因となったことは明らかである。

4  常滑市民病院の医療過誤の有無について

(一)  前掲甲第三〇、第三三、第一八二号証、乙第三二、第四〇号証、いずれも成立に争いのない甲第三四、第三五号証の各一、二、第三六号証の一ないし三、第九七、第一六二号証、乙第三〇号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三号証の三、第二九、第三一号証、証人金井朗及び同肥田康俊の名証言によれば、次の事実が認められる。

(1) 乙は、一二月一二日、被告A、Hコーチ、I及び訓練生二名に付き添われて、午後六時ころ平病院に到着した。同病院の医師がたまたま不在であったため、看護婦の中山ゆかりほか一名の補助者が対応することとなり、中山は、乙に対し酸素吸入の処置をするとともに、乙の症状を調べたところ、当初は、身体が冷たく、呼吸は浅く、脈拍は手首の内側や肘関節の部分の触診では測定できないほど弱く、血圧も測定できない状態であった。その後、脈の拍動が感じられる程度になったが、脈拍数や血圧の数値が測定できるほど回復するには至らなかった。

被告Aは、ライターの火であぶれば熱いと言うのではないかと言いながら、ライターの火を乙に近付けたりしたが、乙は反応を示さなかった。

(2) 中山は、院長との連絡が取れず、当直の医師が午後七時ころまでには来ることになっていたが、乙が右のような緊急を要する容態であったため、早急に施設が整っている近隣の病院へ移すべきであると考え、Hを通じて常滑市民病院と連絡を取り、同病院への転院の手筈を整えた。

乙は、午後六時三〇分ころ、被告Aらに付き添われて、平病院を出発し、車中で酸素吸入の措置を受けながら常滑市民病院に向かい、午後六時五五分ころに到着した。

(3) 乙は、同病院の救急処置室に運ばれたが、意識はなく、瞳孔が散大し、全身が冷たく、脈拍や心音は辛うじて分かる程度の弱々しいものであり、血圧は最大でも七〇前後に過ぎなかった。

そこで、三輪田医師、肥田医師及び看護婦斉田ちさ江らは、救急処置室の酸素ボンベを用いて酸素吸入の処置をするとともに、身体の末梢から中心に向けてマッサージをし、身体を湯で拭いたり、湯たんぽで暖める処置を行った。

また、救急治療に必要な点滴を行うため、血管確保を行う必要があったが、通常であれば腕の表面の橈骨静脈等から点滴を行うところ、これらの静脈がほとんど膨らんでおらず点滴針を刺すことが困難であったため、三輪田医師が、鎖骨下静脈穿刺による血管確保を行い、電解質溶液のソリタ、副腎皮質ホルモンのソルコーテフ等の点滴を開始した。

(4) しかし、乙の状態は好転する兆しが見られなかったため、肥田医師らは、酸素や圧縮空気を供給し、痰等を吸入するための配管設備がある同病院二階の二〇五号室の方が治療に適していると判断し、午後七時一五分ころ乙を同病室に移した。

同病室において、小児科部長の金井医師が治療に加わり、乙を酸素テントに入れたが、間もなく心停止状態となったため、肥田医師が金井医師の指示を受けて乙に対し強心剤のエピネフリン注射液であるボスミン二分の一アンプル(約0.5ミリリットル)を皮下注射し、金井医師が残りのボスミン二分の一アンプルを五分から一〇分程度の時間をかけ約三回に分けて点滴用カテーテルの側管から注射し、心拍呼吸モニターを装着するとともに、心臓マッサージ、人工呼吸等の懸命の処置を行ったところ、約三〇分後に乙の心拍が回復した。

(5) 三輪田医師らは、乙の血圧が多少安定するのを確認した後、頭部、胸部の出血、骨折の有無等の受傷状況や、鎖骨下静脈に接続したカテーテルの状態を確認するため、酸素ボンベ及び心拍呼吸モニターと共に乙をレントゲン室へ移した上右の確認等を行っていたところ、再び乙の心電図の波形、呼吸状態が悪化し、心停止、呼吸停止状態となった。

同医師らは、心臓マッサージや人工呼吸等の蘇生術を試みたが、乙は蘇生しなかったので、再び乙を二〇五号室へ移し、渡辺医師が、午後一〇時四五分ころ、乙に対し気管内挿管を行うなどの蘇生術を継続したものの、乙は蘇生するには至らず、右医師らは、午後一一時三〇分に乙の蘇生を断念した。

(6) 常滑市民病院における右治療過程の中で、医師らが電子体温計を用いて乙の体温を測定したことはなく、また、低体温症に対する復温方法として、マッサージをしたり、身体を湯で拭いたり、湯たんぽで暖めるという処置を行ったものの、それ以外の復温方法は採られなかった。

(二)  被告らの主張に対する検討

(1) 被告らは、平病院において、当初、乙の血圧は微弱で測定できない状況であったが、その後、血圧は一〇四まで上昇し脈拍も安定するまでに回復していた旨主張し、甲第一六三号証中には、被告AはIから乙の血圧が上がってきたとの報告を受けたという供述部分があり、また、乙第三二号証中には、Iは平病院の看護婦から乙の血圧を測定した結果一〇四であったとの報告を受けたという供述部分があり、これらの供述部分は被告らの右主張に沿うものである。

しかしながら、まず、前掲甲第三四号証の一、二によれば、平病院で中心となって乙に対する応急処置に当たった看護婦の中山ゆかりは、本件にかかわる刑事事件の公判廷において、乙の血圧の測定はできなかったと供述していることが認められ、その供述に不自然な点はないから、被告らの主張に沿う右供述部分を直ちに採用することはできない。

また、既に認定したように、乙に付き添った被告Aは、平病院において、ライターの火であぶれば熱いと言うのではないかと言いながら、乙に対しライターの火を近付けたりしており、前掲甲第二九号証によれば、肥田医師は、初診時所見に「極めて重症な状態にも拘らず、事前の連絡もなく、来院時の付添いの態度も極めて楽観的なことに驚かされる。」と記載していること、前掲乙第四〇号証によれば、戸塚ヨットスクールにおいては冬季の海上訓練中に訓練生が意識を失い平病院に運ばれて処置を受けた結果回復した経験が過去に数回あることがそれぞれ認められ、これらに照らすと、被告コーチらは、乙も過去に病院に運ばれた訓練生と同様に回復するものと思い込み、乙の状態についてそれほど深刻に考えていなかったことが推認できる。

しかし、前掲甲第一六二号証によれば、被告Aらは、乙に付き添って常滑市民病院へ向かう際に、平病院で酸素ボンベを借り、車中で酸素吸入の処置を施し、手足をマッサージしながら乙を運び、しかも乙の意識ははっきりしていない状態であったことが認められ、これによっても、乙は、予断を許さない状況にあったというべきであり、平病院で応急処置を受けたことによって若干の回復は認められたものの、被告らの不法行為によって引き起こされた重篤な状態が続いていたことに変わりはなかったものというべきである。したがって、被告Aらが、乙の容態について深刻に考えていなかったからといって、常滑市民病院に搬入される前に、乙の症状が安心できる状態にまで回復していたものということはできず、他に、これを認めるに足りる証拠はないのみならず、かえって、被告Aらの右態度は、被告コーチらが乙の生命身体の安全等に十分な配慮をしていなかったことを窺わせるものというべきである。

(2) 次に、被告らは、常滑市民病院の医師らが、救急処置室において、乙に対し、心停止を惹起する危険性のあるボスミン一アンプルを皮下注射し、その結果、乙は心停止に至ったと主張するので、これについて検討する。

ア 被告らは、まず、常滑市民病院の医師らが乙に対しボスミンを注射した場所は救急処置室であると主張し、前掲甲第三〇号証によれば、同病院の看護婦目代が乙の治療経過を記録した看護婦記録欄には、「Dr肥田にてボスミン一AP皮下注す。」との記述が七時二〇分の記事より前に記載され、また、乙が入院した時刻は七時一五分である旨の記載があることが認められ、これによれば、乙は常滑市民病院に運び込まれた直後にボスミンの投与を受けたと解する余地がある。

しかし、前掲甲第三六号証の一によれば、右の入院した時刻とは、病室へ入室した時刻のことを意味するものであることが認められ、乙が七時一五分ころに二階の二〇五号室へ移動したことは前記認定のとおりであるから、右看護婦記録の記載から直ちにボスミンを注射した場所が救急処置室であるとすることはできず、他に、ボスミンを注射した場所についての前記(一)の(4)の認定を覆すに足りる証拠はない。

イ もっとも、右甲第三〇号証の右看護婦記録欄には、右の肥田医師によるボスミンの注射の記述に続いて、「心停止認む為直ちにDr肥田Dr三輪田にて心マッサージ及びバックにて人工呼吸開始する。」との記載があることが認められ、右記載からすれば、被告らの主張するように、乙はボスミンの投与を受けた後に心停止を惹起したとする余地がある。

しかし、前掲甲第三六号証の一及び乙第三〇号証によれば、乙の治療に当たった金井医師及び肥田医師は、乙がほぼ心停止の状態になったためボスミンを投与したという点では一致した供述をしていることが認められ、その供述自体に不合理な点は窺われないし、右各証拠によれば、乙が心停止状態になった後に薬剤を皮下注射したことについて、右医師らは、心停止状態において薬剤を皮下注射しても、薬剤が循環しないため効果はさほど期待できないことは認識しつつ、乙については、鎖骨下静脈に血管確保の処置がされていたものの、これが確実に鎖骨下静脈に入っていたかについて確信がなかったため、念のため、皮下注射と鎖骨下静脈双方のルートからボスミンを投与したものであることが認められるから、前記の看護婦記録欄の記載をもって、ボスミン投与によって乙の心停止を惹起したということはできず、ボスミン投与の時期についての前記(一)の(4)の認定を窺すには足りないというべきである。

ウ 次に、被告らは、ボスミンの投与量が過剰であったと主張するが、まずボスミン一アンプルを皮下注射したとする点については、前記看護婦記録欄にその趣旨の記載があることは前記のとおりであるが、前掲甲第三五号証の一及び乙第三〇号証によれば、看護婦記録欄に右の記載をした看護婦は、肥田医師にボスミン一アンプルを手渡した事実をもって右のような記載をしたものであることが認められるから、右看護婦記録の記載内容をもってしてもボスミンの投与方法についての前記(一)の(4)の認定を窺すには足りないというべきである。

また、ボスミン一アンプル(一ミリリットル)という量が過剰か否かについては、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二三、第二四号証、弁論の全趣旨により原本の存在及びその原本が真正に成立したものと認められる乙第二、第三号証によれば、ボスミンの説明書には、ボスミンは一ミリリットル当たりエピネフリン一ミリグラムを含有し、適応症ないし用途の一つとして各種の疾患若しくは状態に伴う急性低血圧又はショック時の補助治療、心停止の補助治療に用いるものとする趣旨の記載があり、また、用法・用量の説明としては、皮下注射及び筋肉注射の場合、通常の成人に対し、エピネフリンとして一回0.2ないし一ミリグラムを用いるが、年齢、症状により適宜増減すべき旨、また、静脈内注射の場合には、通常の成人に対し、エピネフリンとして一回0.25ミリグラムを超えない量を生理食塩液等で希釈し、できるだけゆっくりと用いるべきであり、なお必要があれば五分ないし一五分ごとに繰り返して用いるべき旨の記載があること、次に、エピネフリンの解説書には、エピネフリンの投与に関する注意事項として、通常一日0.1ないし0.5ミリグラムの範囲で用いるべきであるが、最大限の用量は、皮下注射及び筋肉注射の場合で一日三ミリグラムであるとする趣旨の説明があることが認められ、これに照らすと、前記認定のとおり、肥田医師及び金井医師は、乙に対し、エピネフリン0.5ミリグラムを皮下注射し、0.5ミリグラムを点滴用カテーテルの側管から注入したものではあるが、既に認定した乙の症状等をも考慮すると、これが直ちに過剰な投与であるということはできない。

エ 以上のとおりであるほか、既に認定したように、乙はボスミンを投与された結果、一度は心拍を回復していることにも照らすと、乙に対するボスミンの投与に関し、常滑市民病院の医師らの治療に過誤があったということはできないものというべきであり、他に、この点に関する過誤があったことを認めるに足りる証拠はない。

(3) さらに、常滑市民病院の医師らが、電子体温計で乙の体温を測定しておらず、マッサージや湯たんぽ等による復温手段を採ったこと以外には低体温症に対する治療手段として格別の復温方法を施していないことは既に認定したとおりであるが、被告らは、これが右医師らの過誤であり、適切な復温方法等の処置を施していれば、乙は救命されていたと主張する。

そして、前掲乙第四〇号証によれば、平医師は、心臓外科治療に携わっていた際に低体温麻酔を行った治療経験に基づいて、過去に、冬の海に漬けられて、意識を失った上、呼吸等も極めて薄弱となっていた戸塚ヨットスクールの訓練生数名に対し、室温を上げ、予め暖めておいてパラフィン入りのホットパックで体の周囲を包み、点滴の輸液を少し暖めて体内に流入させるなどの復温方法を施し、右訓練生らを回復させた経験があることが認められる。また、右のような経験から、被告コーチらが乙の状態について楽観していたことが推認されることも前記のとおりである。

右によれば、乙に対しても右と同様の処置が施されていれば、乙が救命されていた可能性があるといい得る余地がない訳ではないが、平医師の経験した右訓練生らと乙とを比較した場合に、いずれがより重篤な状態であったかを認めるに足りる証拠はなく、その他、既に認定したように、乙の体格が優れたものとはいえないこと、前掲乙第四〇号証によれば、平医師は、仮に乙を同医師が治療したとしても救命し得たか不明であると判断していることが認められることなどにも照らすと、右に認定したところから、直ちに、乙が適切な治療を受けていれば回復し得た状況にあったということは到底できないものといわざるを得ず、他に、右趣旨の被告らの主張に沿う事実を認めるに足りる証拠はない。

さらに、仮に、右のような処置が施されていれば乙が救命されていたとしても、右のような処置は、既に認定したところからすれば、平医師が、戸塚ヨットスクールの訓練生の健康診断に携わり、訓練生が通常では考えられないような過酷な状況に置かれていたことをある程度認識し、過去の訓練生の緊急時に対処したという、通常の医師が遭遇しないような特殊な経験を有していたことに基づいてなされていたものであるというべきである。

そして、前記のとおり、乙は、脈拍、血圧とも非常に微弱な状態で意識もはっきりせず、しかも全身に一〇〇か所を超える外傷がある状態で常滑市民病院に運び込まれたのであり、同病院の医師らは、当時知り得る事情を基に、乙を蘇生させようと懸命の治療を行ったものというべきであって、被告らの主張は、常滑市民病院の医師らに対して、右医師らが当時知り得なかった事情に基づき、他に有効適切な治療方法があったとする非難を向けるものに過ぎず、右医師らの行った治療が、医師らが尽くすべき注意義務を怠ったということは到底できない。

(三)  以上によれば、常滑市民病院の医師に医療過誤があったものということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

七  被告らの責任について

1  被告戸塚及び被告コーチらの責任

(一)  既に認定したとおり、戸塚ヨットスクールは、入校した訓練生を合宿所に寝泊まりさせ、逃走できないように常時監視し、両親との連絡を断った上で、訓練生らに早朝体操、海上訓練等を行わせ、これらにより、非行、登校拒否等の問題を抱える訓練生の矯正を目的とするものであるとしていたが、これら訓練の過程において個々の特定の訓練生についてその訓練状況や健康状態等を把握する責任を負うべき担当コーチは定められておらず、訓練や生活管理上の具体的な指導等は、その時々において指導に当たったコーチらが自らの判断で行っており、体罰としての個々の暴行も、そのような状況の中で、各コーチらの独自の判断で行われていた。

(二) 右によれば、被告戸塚は戸塚ヨットスクールの校長として、被告コーチらは同ヨットスクールのコーチとして、乙のヨット訓練及び合宿所における生活管理等を被告戸塚及び被告コーチらの全員が共同し、一体となって実施していたものであり、しかも乙を外部との連絡を取ることができない状況に置いていたから、右被告らは、それぞれ、乙の生命身体の安全を初め健康管理にも十分配慮し、乙のその時々の心身の状態に応じた慎重かつ適切な訓練及び生活管理上の措置を講ずるべきであるとともに、戸塚ヨットスクールでは訓練生に対し多分に生命身体に危険のあるヨット訓練を受けさせるのであるから、訓練生の健康状態や精神状態に異常が認められた場合には、直ちに訓練を中止し手遅れになる前に適切な医療的措置等を講ずるべき業務上の注意義務を負っていたものというべきである。

(三) しかしながら、右被告らは、既に認定したとおり、乙がひ弱な体格であって、他の訓練生に比して体力が劣ることが十分推測されるのに、一体となって、訓練と称し、一週間以上にわたり前記認定のような過酷な訓練や暴行を加えて、一二月一二日には、乙が衰弱し切って一人で歩くこともできないような肉体的、精神的状況に陥っていたにもかかわらず、右被告らは、適切な時期に医師の手当を受けさせるなどの適切な措置を講ずることもなく、嫌がる乙を無理矢理訓練に連れ出し、訓練に対する意欲がないとの一方的な判断の下に、殴打や足蹴りをするのみならず冬の海水に漬けるなどの暴行を加え、乙の全身に一〇〇か所を超える外傷を生じさせたほか、寒冷下に置いたことによりその体温を低下させて、前記認定の死亡原因により死亡させたものである。

また、既に認定したとおり、平医師は、一二月七日に乙の健康診断をして、付き添ってきた被告Cに対し乙に対する訓練は控え目にするようにとの指示をし、また、同月九日ころには、被告Cに対し乙については後日再検査を行う必要がある旨を伝えたにもかかわらず、これらの指示等は無視され、このような状況の下で、被告戸塚及び被告コーチらは、乙に対し、他の訓練生と同じような内容の訓練を行うことを強要するとともに、前記のような暴行を加えたものである。

したがって、右被告らは、暴行という故意の不法行為を行ったことはいうまでもないのみならず、前記(二)の注意義務を怠ったものというべきであり、その点について少なくとも重大な過失があるといわざるを得ない。

(四) そして、既に認定したとおり、乙に対する個々の暴行は、その時々において乙の訓練等を担っていた被告戸塚や被告コーチらの全部又は一部が行ったものであるが、戸塚ヨットスクールにおいては訓練における体罰が容認されていた上、被告戸塚及び被告コーチらは、乙が身体を鍛えるために自ら進んで入校してきたものであっても、乙について、他の訓練生に対するのと同様の取扱いをすることを認識しており、したがって、乙が入校する以前から行われていた体罰が乙に対しても加えられることをも十分に認識していたのであるから、これらの暴行は、被告戸塚を頂点とする右被告らにおいて、相互に容認され、相互に利用し合う関係の下で乙に対し加えられたものであるというべきであるし、また、乙の訓練に当たった被告戸塚及び被告コーチらは、各自、乙の生命身体の安全及び健康管理に配慮すべき義務を負っていたにもかかわらず、それぞれ右業務を怠ったものであるというべきである。

したがって、右被告らは、民法七一九条一項に基づき、原告に対し、連帯して、乙の死亡に伴う後記八の損害を賠償する責任がある。

2  被告会社の責任

乙の死亡当時、被告戸塚は被告会社の代表取締役であり、被告コーチらは被告会社の従業員の地位にあったことは前記のとおりであり、既に認定したところからすれば、被告戸塚及び被告コーチらの行った乙に対する前記不法行為は、被告会社の営む戸塚ヨットスクールの運営並びに執行に伴うものであることが明らかであるから、被告会社は、民法四四条一項及び同法七一五条一項に基づき、原告に対し、他の被告らと連帯して後記八の損害を賠償する責任がある。

3  違法性がないとの被告らの主張について

(一)  前掲乙第八五号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第一〇〇、第一〇四、第一〇五号証によれば、戸塚ヨットスクールにおいては、非行、登校拒否等の問題を抱える情緒障害児を立ち直らせることを目的とするとしており、厳しい訓練を課しあるいは体罰を加えるなどした結果、そのような児童を立ち直らせ社会復帰させた例があることが認められる。

しかし、仮に、右のような例があることをもって、被告戸塚及び被告コーチらの戸塚ヨットスクールにおける行為が、情緒障害児を更正させ社会復帰させることを目的とする正当業務行為であるといい得るとしても、既に認定したとおり、乙は、自ら心身を鍛えたいという目的で同ヨットスクールに入校したものであって、心身に格別の異常があった訳ではないから、右被告らが、乙に対し、他の訓練生らに対するのと一律の内容の過酷な訓練を課し、体罰と称して前記認定のような暴行を加えたことが、乙との関係でも正当業務行為になるとする被告らの主張は、そもそも失当である。

さらに、前記認定のとおり、ひ弱で体格も優れないため、訓練に付いていけない乙に対し、殴打や足蹴りをするのみならず、冬の海水に漬けたりするなどの暴行を連日のように繰り返し、その結果乙を死に至らしめるという常軌を逸した右被告らの行為は、乙のように心身を鍛える目的で入校した者に対してはもちろん、たとえ情緒障害児の更正の目的であったとしても、著しく相当性を欠いたものといわざるを得ず、この点においても被告らの主張は失当である。

(二) また、乙の親権者である原告及び丁が、乙を戸塚ヨットスクールに入校させることについて同意していたことは前記認定のとおりであるが、そうであるからといって、原告及び丁が、前記のような過酷な訓練、体罰を乙に対し加えることまでを承諾していたものということはできないことは明らかであるのみならず、親権者が、監護教育の目的を実現するため、必要な限りにおいて懲戒権の行使として体罰を行い得るものとしても、子供の心身の健全な育成という監護教育の目的に照らし、体罰は、その手段、程度が社会的に相当と認められる範囲に限られるものであって、ひ弱で体格が優れない乙に対して前記のような過酷な訓練、体罰を課すことは、親権者であっても適法になし得るものではないというべきであるから、親権者の承諾があったとしても、被告らの本件不法行為の違法性の程度が軽減されるものではなく、被告らの主張は失当である。

八  損害

1  乙の逸失利益

二五六四万七〇二九円

乙が昭和四四年六月三日生まれで死亡当時一三歳であったことは当事者間に争いがないから、乙は、本件不法行為により死亡することがなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労が可能であったものというべきであり、かつ、右四九年間を通じて少なくとも賃金センサス第一巻第一表・男子労働者・産業計・企業規模計・新高卒の一八歳ないし一九歳の年間平均給与額に相当する年収を得ることができたものと推認することができる。そして、乙が生存していれば、高等学校を卒業して稼働を開始したはずの昭和六三年の賃金センサスの右年間給与額が一九七万〇六〇〇円、以後の右年間給与額が、平成元年は二〇四万九五〇〇円、平成二年は二一七万四三〇〇円、平成三年は二三一万三五〇〇円、平成四年は二三四万五三〇〇円、平成五年は二三八万〇八〇〇円、平成六年は二四四万〇四〇〇円であることは公知の事実である。

なお、原告は、乙の生育環境から見て、乙は大学に進学する可能性が高いから、乙の逸失利益の算定は乙が大学を卒業するものとして行うべきである旨主張するが、原告の主張するとおりの事実があったとしても、乙が大学を卒業する蓋然性が高いことまでを推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、乙の年齢、性別等を考慮するとその生活費として五〇パーセントを控除するのが相当であり、中間利息の控除につき新ホフマン係数を用いて乙の死亡当時の現価を算出すると、右逸失利益は、次のとおり、二五六四万七〇二九円となる。

{1,970,600×0.7692+2,049,500×0.7407+2,174,300×0.7142+2,313,500×0.6896+2,345,300×0.6666+2,380,800×0.6451+2,440,400×(25.8056−8.5901)}×(1−0.5)=25,647,029

2  乙の慰謝料 二〇〇〇万円

乙は、前記認定のとおり、他の訓練生らと異なり、戸塚ヨットスクールにおけるヨット訓練を通じ、自己の心身を鍛練しようとして同ヨットスクールに自ら進んで入校したものであったが、過酷な訓練と連日の暴行によって同ヨットスクールに入校してからわずか九日後に無惨な形で死を迎えたものであって、乙が死亡するに至るまでに置かれた前記のような過酷な状況、死亡に至る経緯、乙が未だ一三歳という若年にして将来の夢を絶たれたことなどの諸般の事情を考慮すると、その慰謝料としては二〇〇〇万円をもって相当と認める。

3  相続

前記のとおり、原告は乙の実母であり、丁は養父であって、乙の実父は乙の死亡前に他界しているので、原告は、乙の死亡により、乙の被告らに対する損害賠償請求権の二分の一を相続した。したがって、原告は、被告らに対し、前記1の二五六四万七〇二九円の二分の一である一二八二万三五一四円及び前記2の二〇〇〇万円の二分の一である一〇〇〇万円の合計二二八二万三五一四円の損害賠償請求権を取得した。

4  原告固有の慰謝料

五〇〇万円

取下前原告丁本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第五〇号証並びに既に認定したところによれば、原告は、丁と相談の上、もっぱら乙の心身の鍛練のためにと考えて、乙の意向を確認の上、乙を戸塚ヨットスクールに入校させたものであるが、乙を預けて九日目に当たる同年一二月一二日夕刻、突如として乙の入院とそれに続く死亡を知らされ、しかも入校前は傷一つなかった乙の遺体には、一〇〇か所以上に及ぶ傷が無惨にも残っていることを見せられ、一人息子として将来を期待した我が子が、助けを呼ぶ方途もない言わば密室状態の中で、残虐な暴行を受けた結果死に至ったものであることを知ったことが認められるから、原告が親として受けた衝撃は計り知れないものがあったというべきである。

また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一九一号証、取下前原告丁本人尋問の結果によれば、被告Fは、乙の死亡に対する責任を感じ、原告及び丁に対し見舞金として約一六〇万円を供託し、乙の墓前に赴いて花を供えたことがあったが、しかし、被告F以外の被告戸塚及び被告コーチらは、原告、丁らに対し自らの正当性を主張するばかりで、何ら謝罪をしたことはないことが認められ、これによれば、被告コーチらの一部が謝罪の意思を示しているものの、乙の死亡に至る経緯やそのことにより原告の受けた精神的打撃は極めて大きいことを考慮すると、原告の精神的苦痛は、未だに慰謝されていないものというべきである。

以上のとおり、原告の受けた精神的苦痛は甚大であり、その慰謝料としては五〇〇万円をもって相当と認める。

5  弁護士費用 一六〇万円

本件事案の内容、審理経過等に照らすと、本件事件と相当因果関係のある弁護士費用相当の原告の損害額は、一六〇万円と認めるのが相当である。

6  被告らの過失相殺の主張について

被告らは、原告及び丁が、戸塚ヨットスクールにおいては、厳しい訓練、体罰が行われており、過去に二名の訓練生が亡くなっていることを知っていたにもかかわらず、乙が虚弱体質であったことを知りながら、積極的に乙を同ヨットスクールに入校させたことが過失である旨主張する。

しかし、被告らの主張のとおりであったとしても、前記認定のとおり、原告及び丁は、右二名の訓練生の死亡は、病死によるものであると認識していたほか、前掲甲第四九号証によれば、戸塚ヨットスクールは、その作成している特別合宿入校案内において、安全に過酷な状態を作る旨の記載や入校翌日には病院で必ず健康診断を受けさせ、それ以後も病院との連絡を密にしている旨の記載をし、これによって同ヨットスクールにおける訓練の安全性を強調していることが認められ、原告及び丁が、右のような安全管理の態勢が取られていると信じたとしても、無理からぬところがあるというべきであり、かつ、成立に争いのない甲第五二号証によれば、原告及び丁は、乙が副鼻腔炎に罹患して治療を受けたことや脳波検査を受けたことがあることなど、乙の既往歴を隠すことなく特別合宿申込書に記載していることが認められ、これによれば、原告や丁は、戸塚ヨットスクールにおける訓練において、右既往歴が考慮されるものと考えていたことが推認されるところである。そして、被告戸塚及び被告コーチらは、当然、右既往歴を知り得たというべきであるし、既に認定したとおり、入校後平病院で受けた血液検査により判明した乙の肝機能障害の疑いについても、被告戸塚及び被告コーチらは当然に知り得たというべきであるほか、いったん合宿所に収容された後は、乙は外部に助けを求めることもできず、被告戸塚及び被告コーチらのなすがままの状態に置かれていたものであって、被告らが乙の健康管理については全面的に責任を負わなければならなかった状況であったのに、乙が体格において劣っていることや衰弱し切っていた乙の身体的状況を無視して、被告戸塚及び被告コーチらは、前記認定のような過酷な訓練や体罰を課したものであるから、通常一般人がこのような事態を予想することは到底できないものというべきであって、原告には何らの帰責性も見いだせないといわざるを得ないから、被告らの主張は失当というべきである。

7  被告らの割合的因果関係の主張について

常滑市民病院の医師らに医療過誤があったということができないことは、前記六の4で述べたとおりである。

また、乙の死亡原因は前記六の2のとおりであって、肝機能障害等の乙の身体的素因以外の要素は、被告戸塚及び被告コーチらの不法行為により惹起されたものであることも既に述べたとおりである。

そして、乙の肝機能障害等の身体的素因が、乙の死因に一定の関与をしている可能性が否定できないとしても、被告戸塚及び被告コーチらが乙に対して加えた不法行為の程度や乙の死亡に至る経緯からすれば、乙の身体的素因が被告らの責任を軽減しなければならない程度のものであるということはできない。

なお、既に認定したように、乙は、そもそも心身を鍛えたいという目的で入校したのであるから、通常の訓練生より体力が劣ることは当然予想されるところであり、入校時の乙の体格がひ弱であったことは被告戸塚及び被告コーチらにおいて当然認識することができたはずであったこと、また、乙は、体調に突然の異変が生じて死亡したものではなく、入校後の訓練や体罰によって徐々に衰弱し、一二月一二日には衰弱し切っていたのに、前記認定のような過酷な暴行等を受けた結果、死亡したものであり、乙が右のように衰弱し切っていたことについても、被告戸塚及び被告コーチらは十分認識し得たものであること、さらに、乙の健康診断に当たった平医師が、乙に対する訓練の方法について指示をし、乙の健康につき再検査の必要がある旨を告げていたことに照らすと、被告戸塚及び被告コーチらは、乙の健康状態に何らかの問題がある可能性を十分に予測し得たものというべきであり、仮に、乙の身体的素因が死亡に関与しており、これが被告らの負うべき責任の程度に影響を及ぼすべきほど重大なものであったとしても、そのような身体的素因は被告戸塚及び被告コーチらが当然に把握すべきものであり、そのような乙の身体的素因に応じた訓練等を実施すべきであるといわなければならないから、結局、乙の身体的素因が被告らの責任を軽減させる事由であるといえないことは明白である。

九  以上によれば、原告の本訴請求は、前記八の3の原告が乙から相続した損害賠償額、同4の原告固有の慰謝料額及び同5の弁護士費用の合計額である二九四二万三五一四円及びこれに対する損害発生の日である昭和五七年一二月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文及び九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大谷禎男 裁判官貝原信之 裁判官前田郁勝)

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